年末に念願のアンコールワットに行った。期待通りの圧倒的な存在感と感動、バイヨンや他の遺跡も素晴らしかった。が、見ているとほとんどの遺跡が異常に壊れていることに気が付く。修復がされていないということ以上に、自然でない力で破壊されたようなベンメリアのような遺跡も多い。なぜこんなに壊れているのか、その理由を知るにつれ気分がだんだん落ち込んでいく。泊まったホテルの人が特にそうだったのだが、カンボジアの人はとても親切で笑顔に溢れている。微笑みの国と言われたタイが昨今ではそうでもなくなっているのに対し、そんなに一生懸命気を遣ってくれなくてもいいですよ、と言いたくなるくらい一途に親切だ。私はそこに何か違和感を感じたのだが、カンボジアの近年の歴史を知ると、そういう人しか生き残れなかったのか、そう振る舞うことが子供の遺伝子にまで組み込まれてしまったのかと悲しい気持ちになる。1970年代に大人のほとんどが自国の政府により虐殺されるというめちゃくちゃなことが起こった国である。遺跡もその当時の内戦で破壊されたらしい。そういう遺跡や、愛すべき人々と接しながら歴史のことを考えると何とも苦々しい、切ない、辛い気分になる。パワースポットどころか日々、生気を奪われていく感すらある。そんな風になるのは私だけなのだろうか・・・。びっくりしたのはシェムリアップの街や遺跡は中国の人で埋め尽くされていたことだ。どこもかしこも中国人だらけで、しかもパワフル過ぎ。遺跡への入場制限もどんどん増えているようで、エアアジアが乗り入れる前の静かな時に来るべきだった。

カンボジアの歴史を知ると、アンコールワットを中心とする遺跡群はカンボジアの不幸な歴史を供養する菩提寺だということがわかる。単なる観光ではなく、何だかガーンという衝撃を受けたような旅だった。帰国してもその衝撃は心のどこかに残っており、自分の生き方や日々の気持ちについって考えさせられる。そしてそれが明日への活力というか真剣に生きないといけないなという気持ちに変わっていくのでやはりパワースポットなのかもしれないなと思った。