女性は難しいと思う。

女子柔道の暴力問題を見てそう思った。
暴力指導を行っていたという監督の記者会見を見たが、なぜ?と呆然とした様子だった。監督は選手に信頼され、慕われていると信じきっていた。暴力指導も感謝されていると思っていた。しかし、選手たちの心は監督から離れてしまっていた。まるで、定年退職したとたんに離婚される夫のようだ。マスコミはこの問題をスポーツ界の暴力問題として報道しているが本質は違うと思う。選手に好かれていると勘違いしていた監督が愚かだっただけの話だ。

女性の心を読むのは男にとってはまず不可能だ。このようなことは男女間でよく起こる。セクハラだのパワハラだの言うのも、本質的にはその上司が好きか嫌いかそれだけだ。好きな人から言われたら嬉しいことも、嫌いな人から言われればセクハラとなる。この女子柔道監督にしても選手から好かれていたら同じことをしてもこんなことにはならない。アントニオ猪木に殴られて喜んでいる人を見ていると、殴ることを愛情ととるか暴力とみなすかは当人しだいということがよくわかる。柔道は格闘技であり、痛いことも多々ある。ビンタや竹刀程度の痛みは暴力指導でなくても日常茶飯事であろう。

もちろん、例えば相撲のようなビンタなど張り手に過ぎないという激烈なスポーツであってもかつてあったようなリンチ事件のような暴力は許されないし、今回の問題にしても暴力指導が正しいこととも思わないし、それが競技力を高めるとも思わないが、この単なる男女の意識のすれ違い、単なる女子に嫌われた監督という問題を、一般化された問題としてすべての事例に適用するのはどうかと思う。猪木に殴られて喜んでいる人だっているし、坊さんに竹刀で打たれるために瞑想修行に行く人もいる。

なんでもかでもパワハラ、セクハラにされてしまうと、指導する側も萎縮するし、指導される側も物足りない。どうすればいいかというと、やはり日常的に接することでお互いの理解を深めるしかないのだろう。この勘違い監督は、柔道という男社会で育って、女性にどんなことをしたら嫌われるかと知らないままに育ってしまったに違いない。何度か痛い目にあっていればこんなことにはならなかった。

タイマッサージについても同じことは言える。指導する場合の受講生の方も、施術する対象のお客さんも女性は多い。誤解されるような行動をしないことはもちろんだが、まず信頼関係を築くことが最も重要だ。波長を合わし、意識のずれがないようにしなければならない。

女性は難しいとつくづく思う