神はいるのでないか・・・
女子サッカーワールドカップでの日本優勝を見ながらそう思った方は少なくないだろう。個人的な嗜好としては、「被災者のため」「日本の復興のため」ということにスポーツの結果を結びつけるのは好きではない。人のためではあっても、「金のため」と言うのと同様に、何かスポーツの純粋さが失われるような気がするからだ。スポーツはそういう結果のために行わないからこそ美しい。特に、女子サッカーは金の匂いがなく、優勝後もビールやシャンパンのかけ合いや夜の街で飲むということがないので、清潔感が古今比類なく、見ていて心が洗われるほど清清しかった。その意味で、優勝直後のインタビューでインタビュアーが敢えて被災者や震災について言及しなかったのは良かったし、やはりそれを口にすることは何か抵抗があったのだと思う。民放の記者だったら間違いなく「被災者の方に一言」とか言って、この偉業を下世話な印象のものにしてしまっただろう。
それはともかく、この優勝が、経済低迷にあえぐ日本、そして、多大な苦しみを背負った東北の方々を幸せにしたことは間違いがない。このタイミングで、そして、18年も頑張ってきた澤選手が決めたことに、神の意思を感じる。もちろん、努力の結果であり、運などではなく力で掴み取った優勝であることは間違いがないのだが、それを成し遂げる選手が揃い、練習の成果が結実することへ導かれていた感は否めない。アメリカの選手が、負けても全く悔しそうな顔をせず、「大きな力があった」と語る姿はまるで、聖母マリアの降臨を見ているかのような恍惚感を感じた。キリスト教徒である彼女たちは我々以上に神の存在を感じたに違いない。ワンバット選手が「優勝以外に素晴らしい体験があることを知った」と発言していたが、それはまさに神を身近に感じた感動であっただろう。
話は変わるが、秋にヨガスタジオ2号店をオープンすることになりそうだ。私は当初ヨガを仕事にするなどとは全く思っていなかった。普通に会社員をした後に起業することにしたが、念頭にはタイマッサージスクールしかなかった。しかし、ヨガの先生に偶然出会い、経営的な配慮からヨガスタジオを併設することになり、その流れで現在、ヨガスタジオをチェーン展開しようと考えている。そういうことをしている時にあるインストラクターからyogaという言葉の語源を聞いた。yogaの語源はyuji(ユジュ)であり、繋がりという意味がある。自分の体と心を繋ぐ、心と神を繋ぐ、人と人を繋ぐ、そういう意味だ。それを聞きながら私は驚愕していた。私の名前はyujiなのだ。まさか、自分の名前が自分のライフワークを意味していたとは・・・。今、たまたまyogaを仕事にしていると思っていたのだが、生まれた直後にそれをすることが決まっていたようなものだ。
無神論者であり、科学を信仰する私には運命や神の意思という概念は受け入れにくいものだが、存在の根底にはそういうものが何らかの形で実在していると認めざるを得ない気がする今日この頃である