リーマン予想

先日、NHKでリーマン予想の現状について放送していた。この前はポアンカレ予想が解けたという番組だったが、今回も面白すぎる。リーマン予想というのは、素数がある規則の下に出現するという命題で、この証明をすることが数学者の一大課題になっているというものだ。
そんなこと、どうでもいい、数学者の趣味の領域の話かと思っていたらそうではなかった。素数についての謎を解き明かすことは、宇宙の究極の物理法則の謎を解き明かすのに等しい、神の領域を理解することだと言う。

一見不規則な素数の並び、1,2,3,5,7,11,13,・・・は長い間、単純に無秩序だと思われていたが、ある式で素数を掛け合わせると円周率3.14・・・に等しくなる、また、原子核のエネルギー遷移の式と、リーマン予想の素数の式が同じになるという。

それが更に、どう宇宙の真理の解明に役立つのかは私の脳のレベルでは全く理解できないが、素数について完全に理解できたならば、現代の物理学や種々の技術、医学等々が革新的な飛躍をすることは間違いないらしい。数学とは役に立たない趣味ではなく、すべての技術や社会生活の基礎になるものなのだ。面白すぎる・・・

私が特に面白いと思ったのは、それが「素数」ということだ。素数というのは存在がユニーク(唯我独尊)である。「ユニーク」というのは、他の存在をベースにしていないということ、例えば、4は2の2倍なので、2から生成されたとも言えるし、元は2だったとも言える。しかし、3や5のような素数は他のどの数から生成されて訳でもなく、その存在は自身がなければ存在しない、自分自身が原初的な存在なのだ(あなた自身が神だというヒンドゥ教の教えを連想させる)。そして、ユニークな素数は無限に存在する。無限に存在するが不規則なわけではない。宇宙の真理の元、究極の調和(円=円周率)の下に存在している。

社会、自然、宇宙そのものではないか。人間やすべての生き物は一人一人ユニークであり、そして完璧な調和のもと、お互いがつながっていて、そして、存在している。タイマッサージのルーツであるヨガやアーユルベーダの世界観、すべての宗教の世界観も突き詰めればそういうことになる。リーマン予想の証明によって解き明かされる宇宙の真理は、過去の聖人達が直感的に(悟りのようなかたちで)理解していたことと同じなのではないか。そんな連想にもつながる。

リーマン予想という数学の話が、タイマッサージに直接的に関係するとも思えないが、思ってもみない形で、そういう伝統医療で信じられてきたことが真実だったことがわかるのも、数学の進展によるものなのかもしれない

タイマッサージセラピストは体を壊す?(3)

では、タイマッサージで酷使する部分を守るにはどうすればよいか?

まずはその部分に負担をかけないことである。例えば、腰。背筋を真っ直ぐにして頭を上げる(垂れ下げない)ことで腰への負担を軽減することができる。また、そもそも腰に負担をかける両膝をついて両腕に体重をかける姿勢を取らず、別の方法(エルボー・スタイル等)を取れば劇的に楽になる。
肩や腕の負担は主に筋力で押そうとするからいけない。脱力して体重だけで圧をかける癖をつければよい。

この、体を壊す原因である長時間の静的な筋肉への負担を脱力によってなくすことで体を守るというのがチェンマイのピシェット師の主要な理論である。脱力した加圧は振動や不連続性を伴わないため圧が極めて滑らかで、受ける側としても究極の気持ちよさが得られるというメリットがある。

では、脱力を極めれば体を壊さないか、それが体を守るベストな選択肢と言えるか?

私は、そうではないと考えている。もちろん脱力することは大事だし、体への負担も軽減されるだろう。しかし、考えてみれば、体に負担をかける姿勢で体を壊すのはタイマッサージセラピストだけではない。デスクワークや運転、立ち仕事等々、様々な職種で特定の筋肉に負担をかけて体を壊す可能性がある。そして、そんな人たちに推奨されることは「正しい姿勢」と「運動」である。この「運動」ということが、実はセラピストが体を壊さないために最も必要なことではないだろうか。

脱力を極めたとしたら、それは一日中寝ているのと同じことかもしれないが、全く筋肉を使わず、運動をしないことが体にいいかというとそんなことはないだろう。筋肉は動かされることで健康を保つ。長時間同じ姿勢を取るような筋肉への負担は望ましいことではないが、筋肉を全く使わないこともまた良くないことだ。

タイマッサージセラピストは仕事柄、座っている時間が非常に長い。しかも、タイマッサージは施術者が余り動かないで済むように設計されている。会社員でもコピーをしたり会議室に移動したり出張したりする際に相当歩く。人間は歩くことで健康になる動物なのに、セラピストは歩く機会がほとんどないのだ。

タイで最も著名なタイマッサージの先生であるピシット先生は、毎朝ジョギングとルーシーダットンを欠かさない。ピシット先生の手技はそれほど脱力を重要視しないが(もちろん正しい姿勢は重要)、ピシット先生は高齢でも健康を保っている。「タイマッサージをするから体を壊す」という特殊な話ではなく、他の職業の人と同じように単に「運動不足」だから体を壊すというのが本当のところではないかと思っている。

石の上にも三年

グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアは「一つの曲を完成させるには3年間演奏し続ける必要がある」と言ったらしい。

石の上にも三年とはよく言ったものだ。

一般的には我慢を尊ぶ諺のように捉えられているがそうではない。あるジャンルに取り組み、その世界を理解するには3年かかるという意味だと思う。

会社員時代は色々なことに取り組んだ。転勤もあるので、突然対象とする商品分野が変わることもある。レーザプリンタのトナーカートリッジを研究していた時代、そして、コンテンツ符号化、白物家電のネットワーク化、車載コンピュータのインターフェース、分野が変わる度に0から勉強し、研究し、会議をし、他社の情報を収集し、製造現場で打ち合わせをしとなるのだが、経験的に最初の2年くらいは何がポイントなのだかさっぱりわからない。よって、将来のあるべき姿はイメージできないし、今何をすべきかもわからない。ところが、不思議と3年くらい取り組んでいるとビジョンが見えてくるものだ。

ヨガスタジオ、タイマッサージスクールを始めて、自分で作ってみて、何がうまく行って何が思い通りでなかったか、そして他社についても自社の実績や失敗をベースに比較する。そんなことをしながら、考え続けているとだんだんわかってきた。ヨガスタジオについてもぼんやりと将来のあるべき姿が見えてきた。あと1年ちょっとで3年になるがその頃には確信に変わっているような気がする。ビジョンが得られれば後はそれを形にするだけだ。

勉強の3年の後は、事業拡大フェーズに入ろうと思う。これまでちょっとゆっくりしすぎていた感があるが、緊張感とスピード感を持ってやり遂げようと思う。

タイマッサージセラピストは体を壊す?(2)

タイマッサージを長く続けたときに壊れるのはどこか?

まずは、腰。ヨガで言う猫のポーズ(両膝、両手をつき、指圧または手掌圧を相手に加える)がタイマッサージの基本姿勢である。このときに背中が丸くなっていたり、頭を垂れ下げていると、頭部の重みが腰に伝わり、背筋は釣竿のように重みを引っ張り上げなければならない。筋肉というのは負担をかけた状態を長く続けると損傷する。動かしながら負担をかけている分にはいいのだが、静止した状態で負担をかける「等尺性伸縮」が長時間に及ぶのが一番良くない。正しい姿勢で行ったとしても腰への負担は0にはならず、結果として腰痛やヘルニアを引き起こすことがある。

次に肩。猫のポーズで指圧または手掌圧を行う場合に、肩に力が入っているとひどい肩こりの原因になる。肩の力で圧を加えるのは間違いで、肩は脱力して、自分の体重を預けるというのが正しい圧の加え方だが、強い圧をかけなければいけないという意識を持ってしまうとついつい肩に力が入ってしまうものである。

そして指。腰などの特定の指圧ポイントはかなり強く指圧する必要があるし、そこだけでなく、指圧は全身に施さなければいけないので指の関節には大きな負担がかかる。損傷すると痛くて施術どころではない。これを防ぐためにタイの、特に王宮系のタイマッサージ師は指立て伏せのような運動を行い、親指の根元の筋肉を鍛え、指自体を太くするほどだ。

最後に膝。タイマッサージは膝をついて行う姿勢が多いので、マットの厚みが足りなかったり、マットが硬かったりすると、膝を損傷してしまう。

タイマッサージを行うことで壊すのはだいたいこんなところだが、実はそれだけではない。スポーツのように筋肉を色々な方向に動かずに、じっとした姿勢で筋肉に負担をかけていると、負担がかかっている筋肉のトリガーポイントが他の筋肉にも連鎖し、体のあちこちにトリガーポイント(ブロックとも言う)が生成されてしまう。トリガーポイントはその場所だけでなく離れた場所にも痛みを生み出し、痛みが更に悪い姿勢を誘発し、体がどんどん悪くなる悪循環に入ってしまう。体が痛いだけならまだいいが、ヘルニアや関節炎、脳梗塞等々、手術が必要になるような重大な病気の温床となる場合もある。

至福のひととき

会社を辞めて、一人で事業(まだ自営業レベル?)を始めると仕事とプライベートの区別などなくなる。意識的に今日は休む、と決められないこともないのだが、WEBサイトの更新や新コースの開発、ヨガスタジオの運営等々、仕事も楽しいので、趣味なのか仕事なのかよくわからず、家にいるときにもいろんなことをする。結果として店にいるとき(タイマッサージレッスンをやっていたり、受付でお客さんと話をしていたり)が休みなのか、家でパソコンに向かっているときが休みなのかはっきりしない。
かといって苦痛かといえば全くそんなことはなく、毎日旅行しているような、趣味をしているような感覚だ。ストレスもほとんどなく(ストレスは人間関係だけ)楽しい毎日と言える。

趣味と仕事が一致するいうのはいいものだ。よく「趣味は仕事にしない方がいい。趣味が仕事になってしまうと趣味でリラックスできなくなる」というのは間違いだ。仕事となった趣味は依然として楽しいし、プライベートで別のことをしたければ別の趣味を持てばいい。人間の興味は果てることはなく、趣味などいくらでも持てる。

ただ、何となく常に忙殺されていると読書をしなくなる。私は子供の頃から読書が大好きなのだが、この数年はほとんど読んでいない気がする。小説は一行一行しっかり読むのに集中力と時間を要するので特に読んでいないし、しばらく読まないような気がする。ビジネス本とか知識本は一冊1、2時間で読めるのでそういう本を読むことが多いが、今日は少し時間ができたので4冊くらい今から読もうと思う。

酒を飲むのも、遊ぶのも、仕事をするのもいいが、やはり至福のひとときというのは好きな音楽を聴きながら本を読むことではないだろうか。願わくば、リゾートホテルの白砂のプライベートビーチで波の音を聞きながら坂の上の雲でも読みたいところだが、家のベッドでMerle Haggardを聞きながら心理学の本を読むのも悪くはない

タイマッサージセラピストは体を壊す?(1)

従来型(いわゆるワットポースタイルやチェンマイスタイル)のタイマッサージを続けていると体を壊す、という人がいる。

だから、今までのスタイルを捨てて、自分の体に優しい、更にはタイマッサージをすることで健康になるスタイルを習得しなければならない。

そういうロジックだ。

もっともな話に聞こえる。自分の体が楽なだけでなく、一緒に健康になれるようなタイマッサージがあるならばそちらの方がいいに決まっている。

そのタイマッサージの流派が、チェンマイで有名なピシェット先生が教えているスタイルだ。オールドメディソンホスピタルのチェンマイスタイルをベースにしているようでしていない。ピシェット師はオールドメディソンホスピタルでの勤務経験もあるが、タイ伝統医療の家族と育ったため、足を多用する古い手技が基本スタイルになっている。

ピシェットスタイルの特徴を一言で言うと、”No tension”である。
自分の筋肉の緊張を徹底的に取り除き、完全に脱力して、自分の骨格をターゲットに対して正しい角度にセットして体重をゆっくり乗せる。いや、乗せると言う言い方すら違うかもしれない。息を吐きながら丹田を寄せていく。

これが簡単なようで難しい。脱力を完成させるためにはヨガで瞑想を行うような無の境地に至る必要がある。毎日念仏を唱え、マントラを歌い、仏に仕える。何も欲しがらない、何も与えない、相手をいつくしみ、そっと寄り添う、そして手足の感覚を研ぎ澄まして相手の体と対話する。

そういう深い精神性すら求められる。

だから、ピシェット師に心酔する生徒(いや、信者と言うべきだろう)は何年もの間、ピシェット道場に通い、修行のように技術を極めようとする。その修行は果てしなく、何年頑張っても修了することはない。なぜなら、人間が無の境地に至るのは死ぬか、悟るかどちらかであり、悟りを極めた人間など歴史的にも何人いるかわからない。

まあ、そこまで極端でなくても、ピシェットスタイルは実践可能だし、筋力を使わないのはタイマッサージの基本要素の一つなので、そこにフォーカスして練習するのも正しいことであると思う。しかし、「ピシェット式以外のタイマッサージはすべて体を壊すからだめだ」そこまで全否定するほど、ピシェット式をやっていれば体を壊さないと言えるのか。そもそも、タイマッサージセラピストが体を壊す(壊さない人も多数いる)原因は何なのか。それについて、何回かに分けて考えてみたい。

たばこ

人間とは弱いもので、どうしようもない時、目の前の現実に打ちのめされたとき、心が折れて地べたに力なく倒れこんでしまいそうなとき、そばに何か頼るものがあれば頼ってしまう。そこに頼れる人がいればまだいい。いない場合、何に頼るか。私の場合、日常的に酒を飲んでいるため、改めて酒は選択肢にはならない。もし、そこに、薬物があれば頼ってしまうのではないか、人とはそんな危うい存在だと思う。

今、日本は欧米の後を追うように薬物に犯されてしまっている。芸能人だけでなく多くの人が薬物に手を伸ばしているのは、そういう状況で、薬物が身近にあったということであり、その罠にはまってしまったという意味では薬物に手を出した人も被害者と言えるかもしれない。ただ、薬物も種類によっては、特に覚せい剤や幻覚剤は精神錯乱により自分の命だけでなく他の人の命も危険にさらすため、薬物使用が飲酒運転並みの重罪であることはゆるぎない事実でもある。そのため薬物使用は許されるものではないが、それ故、薬物使用者は社会的制裁も加わり哀れ極まりない。

幸い、私の傍には薬物はなかった。そこで煙草を吸うことにした。前に煙草を吸い始めたのが20年前、そして煙草を辞めてのが14年前なので、ちゃんと吸うのは久しぶりのことだ。それが10/3の夜、そして2日目の昨日、ヨガのレッスンに参加した。

アーサナに入るとなぜかいつもと違う。呼吸が乱れ、体が安定しない。それだけではなく、暑くもないのに汗がだらだら流れ落ちる。汗だけではない、鼻水まで垂れてくる。苦しくなった。体内の毒が体を苦しめながら体表に染み出してくる感覚だ。ヨガにデトックス効果があるとは聞いていたがこれほどリアルに体験するとは思わなかった。

確信した。

ヨガやタイマッサージを生業とするものは煙草など吸ってはならない。エネルギーラインを整え、自然治癒力を高めることを目標にしていながら煙草を吸うというのは全く矛盾している。

今回のスモーキングは一箱限定なので先ほど完了した。これから再び完全禁煙になる。また吸う日が来るかどうかはわからないが、二度と吸いたくはない。煙草が身近からなくなることを切に願うのみである。

タイマッサージの奥義

夏のタイマッサージ旅行が終わった。前後2日の移動を除くと正味8日間、朝から晩までタイマッサージに接していた。
今回はこれまでの私のタイマッサージの先生である、ピシット先生、ワンディ先生に加え、チェンマイで有名な、ピシェット先生、そしてレックチャイヤ先生にもお会いし、直接施術を受けることができた。
その中で、名人の施術が何なのか、共通項を感じることができないかと考えていた。

力強い指圧と豪快なストレッチのピシット先生、一見、速く指を運んでいるようだが一つ一つが丁寧で強烈なワンディ先生、静かにしかし深く確実に入って来るピシェット先生。それぞれ全く異なるタイプだが、センやポイントを確実に捉え、そして、強烈に入ってくる。強いのだが決して痛くない。深いのだが受け入れてしまう、そういう共通項がある。もちろん、一押し一押しが琴線を奏で、恐ろしく気持ちがいい。

私は当初、その技術的な共通項は、「二段押し」「加速」だと考えていた。二段押しとは、皮膚に指を置いてから軽く圧を入れ、ターゲット(筋肉、腱、神経)に達したことを指で感じるまでが第一段階(これを「まずセットする」と表現する人もいる)。第二段階で本格的な圧を入れるという押し方だ。第一段階は0.2秒くらいの瞬間である。第二段階で1秒-2秒かけて深く押すのだが、ここで「加速」圧を使う。一本調子で圧を上げるのでなく、最高圧にかけて加速するのだ。逆に言えば、序盤は穏やかに圧が上がり、終盤に一気に最高圧に達する。

この押し方をすると、受け手は指が突き刺さってくる感じを全く感じない。そして、リラックスして圧を受け止めることができる。かなり深く入っても痛さを感じずに心地よさだけが残る。

ピシット先生やワンディ先生のような名人になると、指の運びは非常に速いのだが、「二段押し」「加速」をしているのでゆっくりやっているのと同じように心地よいマッサージになる。しかし、初心者にはそれは不可能なので、腰の上下運動と呼吸、そしてゆっくりと指を運ぶことでそれに近い押し方を実現することができる。
これこそが名人芸の秘密だとわかったつもりでいた。

ところが、レックチャイヤ先生に会ってその考えは崩壊した。

レックチャイアと言えば、ナーブタッチで名高い。ナーブタッチとは腱や神経をギターの弦のように弾くことで有名な手技である。他の人から実際に受けたことがあるが、結構痛かった。強烈なイメージがあった。

今回、レックチャイア先生に直接腕のマッサージをしてもらった。

驚いた。

そっと指を乗せると、圧がかかっているかかかっていないかわからないほど優しく、丁寧に腱を捉えてゆっくりと回転させる。そのタッチは今まで感じたことがないほど繊細で、優しかった。しかしその指先は私の心(いや筋肉)を確実に捉え、溶かすように揉み解してゆく。太陽に照らされて、凍り付いていた(力んでいた)心と体が緩んでいくかのようだった。

私は悟った。要するに、タイマッサージの奥義は押し方とか圧力曲線とかそういうものではない。どれだけ相手を尊重し、いたわり、愛しているか。相手の体に接した瞬間から、相手をいつくしみ、相手の気持ちになることができるかなのだ。強く入れようとか、センを捉えようとかそんな気持ちで解剖学的な筋肉に接するのではない。「人」に接しているのだ。相手の心に愛情を持って接する気持ちで相手の腕、脚を取ることこそが奥義なのだ。恐らくその結果として、「二段押し」「加速」は自然に実現される。

ナーブタッチは愛を持って施術されれば全く痛くない。そして効果が高い。ナーブタッチはレックチャイア先生の愛情のある指によって行われたからこそタイマッサージの主流になり得たのだと知った。

ついつい、理論や技術に走りがちになるが、タイマッサージとは、やはり、気持ちでやるものだということを思い知ったのが今回の旅行の総括である。

(写真はレックチャイヤ先生と私)

ハーブ玉(8)

さて、ハーブ玉について長々と書いてきたが、最後にハーブ玉セラピーの注意点について述べる。

まずは、どういう服装でやるかだろう。ハーブ玉は肌に直接当てるのが基本であるが、裸でやるわけではない。シャツやパンツを少しはだけて皮膚を出せば十分だからだ。ハーブの成分はすぐに洗えばシミになるようなものでもないので、通常の施術着を着てもらえばいい。

次に、ハーブ玉は何回使えるかという問題だが、10回くらいは使えるかもしれない。しかし、衛生上の問題もあるので、ほどほどのところで廃棄すべきだろう。一旦解いて、かき混ぜて結びなおせばハーブの成分を無駄なく使えるということは言えると思う。

最後にハーブ玉の輸入である。現段階では税関はハーブ玉についてうるさく言わないようだ。もちろん、生のハーブは植物検疫に引っかかるので輸入できない。しかし、ドライハーブは多くの人が苦もなく輸入している。税関の人がハーブ玉がどう使われるのかよく知らないからである。
肌に接触させるものだし、樟脳も入っている。厳密には化粧品(化粧品の輸入手続はかなり厄介)と言えなくもないのだが、今のところは幸い「単なる乾いたハーブ」として認識されているようだ。ハーブ玉で誰かが病気になったと言う問題も発生していない現状から考えると、しばらくこの状態は続くだろう。私も今回のタイ行きで、良質のハーブ玉を調達して、ハーブ玉レッスンを開こうかと考えている。

癒しのANA

夏にタイに行くことにしたのでANAのコールセンターに何度か電話したのだが、電話するのが楽しみだ。オペレーターの電話対応がとてもいいからだ。話す内容は、空席待ちの便の指定とか100%事務的な話で、おしゃべりをするわけではないのだが、3分足らずのその時間がとても心地いいのはオペレーターの心から相手に尽くそうという気持ちが伝わってくるからだろう。

電話だけでなく、空港ラウンジや機内サービスすべてで私はANAのファンだ。ANAの株も持っているし、マイルのカードはもちろんANA。私にとってANAは交通手段というよりも、癒しのラウンジである。

私も人と接する仕事をしているので、私がANAの人と接して感じるような心地よさを問い合わせをしてくださる方や、受講してくださる方皆さんに感じてほしいと思う。マッサージの練習をしたいわけではないが、なぜか行きたくなる学校、そんな雰囲気を作りたいと常日頃考えている