手の温かさ(3)

昨日サロンをオープンした受講生。彼女も手が温かい。

特にスポーツをして筋肉が多いわけでもない、普通の若い女性である。冷え性であっても不思議はない一般的な女性だ。

「手がとても暖かいね?」

「普段はそうでもないのですが、マッサージを始めると自然に温かくなるんです。」

不思議なことだが、どうもそういうことが実際に起こるようだ。私も手が暖かい方だが、確かに普段よりもタイマッサージをしているときの方が暖かい気がする。なぜなのか?

ある種のスイッチが入るのかもしれない。タイマッサージを始めて数分後には手から熱が放射されているような気がする。なぜそうなるのはよくわからない。仮説としては、腕をまっすぐにして垂直に相手の体に当てて体重をかけることにより血液が手に集まり、熱が出るのかもしれない。正しい姿勢で正しいリズムで行うことにより手が温まるという仮説だ。だから熟練するほどに手が温まるということが言えるのかも知れない。

心を鎮めて気持ちを空にすることで副交感神経が優位になり手が温まる、というのが定説なのだが、実は、タイマッサージの姿勢こそが単純に手を温めているのかもしれない。手の暖かさはそういう技術的な結果なのか、心の持ちようなのか、まだまだ研究の余地がありそうである。

受講生がサロンをオープン

サボるにも程があると反省している。「毎日更新ブログ」と書いておきながら、一ヶ月も更新しなかった。読者の方にはごめんなさいと言うしかない。タイマッサージレッスンの予約システムを開発していたのが原因だ。携帯から予約できるようにするためプログラムを書いていたのだが、プログラミングという作業を始めると他のことができなくなる。そんな集中力を要するシステム開発もほぼ終了したのでブログを復活しようと思う。

本日はめでたい日だ。当スクールの受講生がサロンをオープンすることになった。以前ブログで驚異的に上手な生徒さんについて言及したが、その彼女が本日、個人でサロンを(プレ)オープンしたのだ。以前の勤務先を退職して自分でマンションを借りて事業を始める勇気を賞賛すると共に、ぜひ成功してほしいと思う。彼女の腕があれば全く心配ないと思っている。赤坂見附のSLOWというお店である。当スクールのピシットスタイルタイマッサージを体験できる貴重なお店でもあるので是非応援してあげてほしい。

定命(じょうみょう)

年末になると色々なことを考える。

先日、芸能人死亡のニュースが流れていたが、訃報を聞くと定命(じょうみょう)という言葉を思い出す。

定命というのは、仏教用語で、人が死すべき定めの年齢のことである。私は定命というのは、その人が今生で果たすべき役割を終えたときに訪れると考えている。この世に生まれてきて、この世で自らの役割を終えた時に苦しみに満ちた現世から開放される。そういうものではないかと思っている。

逆に言えば、まだ生きているということは、すべき仕事がまだあるということ。思い返せば、私もこれまでに何度か、(文字通り、あるいは社会的に)死んでもおかしくないような状況があった。今考えても冷や汗が出る。

ところが現在、健全な一市民として元気に生きている。なぜ生かされているかを考えてみるとき、そこに大きな意味があるような気がする。長い間生きてきたが、まだこの世での役割を果たしたと認められていないのだ。これから一仕事しなければならないのだ。

何年か前には考えもしなかったヨガスタジオ&タイマッサージスクールの経営という仕事に現在取り組んでいるが、この仕事を完成させたときに私にも死が訪れるのかもしれないし、それもまた仕事として認めてもらえないかもしれない(その方が長生きできて嬉しいが)。

どの人の一生にも、意味があり、その積み重ねで今の我々の幸せが存在している。亡くなって行った人たちへの感謝の気持ちで今年も終わりを迎えようとしている。

今年も終わり

激動の一年だった。

何か新しいことを始めると言うのは大変なことだ。肉体的に大変と言うより、精神的なタフさ、無神経さがなければやっていけない。

まずは、自分の無力さ、馬鹿さを痛いほど思い知らされる。わかっていたつもりのことが全くわかっていないかった。逆に言えば、それがわかっただけで学んだということなのだが、凹んだ気分の中、業務を進めなければいけないのは辛いものだ。

騙される、裏切られるということもよくある。これまた、精神的ショックが大きい。それを知ったときには呆然として座り込んでしまうほどだ。

簡単に言えば、失敗を無数に重ね、そのたびに落ち込んでいるのだが、楽天の三木谷社長は「失敗したとは思っていない。失敗したことに気づいていないんですかね」と笑って話していた。このくらいの無神経さ、タフさがあるからあれほどのスケールで事業を推進できるのだろう。人間の器とはそういうものかもしれない。

自分でできることは自分でするのが一番いい。(安易に)人に頼んだり、外注したら必ず後悔する事になるということを学んだ。

しかし、事業規模を拡大するには人に任せなければならない。そこで人事が非常に重要になる。一緒に働く人を慎重に選ぶようになったのは今年の成長点である。

1週間の休みになるが、システム開発や教材開発などやることは山のようにある。ブログだけでなく、来年に向けてしっかり基礎を築かねばなるまい。

ワットポーのマッサージ

今日いらっしゃった方が、「ワットポーで何度かタイマッサージを受けたことがあるが、痛くて痛くてずっと我慢していた。タイマッサージはそういうものかと思っていたが、ここのは気持ちいいので驚いた」と話してくれた。

驚いたのは私の方だ。私の記憶ではワットポーはそんなに激しいマッサージはしない。ワットポーのマッサージ師はみんなレベルが揃っていてはずれがない。たまに強すぎることがあるが、我慢するほどではない。

話をよく聞いてみた。すると、そのときは体調があまり良くなかったということ。しかもそのときのマッサージ師が雑な人で、熱いハーブ玉を体におきっ放しにされてやけどまでしたということ。

何となくわかった。人による個人差や体調を考慮しないで画一的にマッサージをするとこういうことになる。相手の顔色を見ながら、あるいは、コミュニケーションを取りながらベストな圧力を探るということをしないとこうなる。私の友人でもあるワットポーの宮原さんなら大丈夫だっただろう。そういう細やかな心配りという面でやはり日本人には日本人の宮原さんが最高の選択肢だ。話も通じるし、話をしなくても体の反応も宮原さんなら見逃さないだろう。

あのワットポーでも、そういうことがあるのだということに驚いた。

毎日更新ブログ

毎日更新というのは結構辛い。

暇な日に書きためておいたらいいではないか?

と思われるかもしれないが、そんなに簡単なものでもない。一話を書くと何となく消耗してぐったりする。エネルギーを放出した感じだ。

何か書けばいいというものでもなく、書きたいという思いが湧き上ってこないとキーボードを叩く気にはならない。湧き上ってくれば、後は無心でキーボードに身を委ねれば機関銃のように指が勝手に文章を紡ぎ出す。書き始めた時に考えていたことは、書いているうちにどんどん発展し、書き上げたときには当初思っていなかったような話になることはいつものことだ。時間にすれば10分足らず。相撲取りの「体が勝手に動く」という感覚かもしれない。

経営論や社会問題など書きたいことは山のようにあるが、タイマッサージというテーマに絞ったら、ネタは無数にあるわけでもない。ちょっと考えないといけないなとも思う。

幸い、もうすぐ年末年始休暇。一年書き続けられるようネタを暖めねばなるまい。

インフルエンザ

うちのヨガのインストラクターがインフルエンザになった。

と思ったのですぐに病院に行った。前触れも理由もなく猛烈に気分が悪くなり、悪寒がし、関節が痛くなったのだ。熱は39℃を超えていた。数日前から家に泊めていた友人がインフルエンザだったのでそれがうつったと考えられた。

ところが、医者は検査の結果、インフルエンザではなく「ただの風邪」と診断し、タミフルを処方せずに帰したという。その後、三日三晩高熱に苦しんだのは言うまでもない。風邪では上記のような症状は出ない。

そこで、もう一度別の医者に行った。すると、「インフルエンザに間違いはないがタミフルは症状が出てから2日以内に飲まないと意味がない。だから、今は安静にするしかない」と言われて帰ってきたという。

タミフルをけちっているのか?

要するに最初の診断が誤診である。私は初めから誤診だと思っていた。なぜなら、過去に私も同じような経験をしたからだ。

インフルエンザの検査は、鼻に綿棒のようなものを突っ込む、痛-い検査である。痛さに躊躇すると鼻の奥まで届かずウイルスを採取できない。また、インフルエンザの初期はウイルスがまだそれほど増殖していないので(だからこそタミフルが効く)、検査で陽性が出ないことも多い。私の場合、初日は陰性、3日目に(どう考えてもインフルエンザだと思い)再検査したら陽性であった。

タミフルが効く初期には検査に現れず、検査でわかる頃にはタミフルは効かない。ここにジレンマがある。非常に危険なことだ。

医者としては検査で陽性にならなければタミフルを(基本的には)処方できないのだろうが、そういう現状をよく勉強して臨機応変にタミフルを処方してほしいものである。まさか、「検査を何回もやれば儲かる」とか「タミフル備蓄量を減らさないため医局から処方を抑えるように言われている」わけでもなかろう。

近いうちに鳥インフルエンザがやってくる可能性もある。誤診は即、死に繋がる。「風邪です」と言われることは死刑宣告に近い。患者としての防衛策は、次回のためにタミフルを貰っておいて、次回インフルエンザになったらすぐに飲むことだろうか。

タイ料理   ホイトート

路上の屋台で食べられるB級グルメの代表と言えば、カオマンガイ、バーミーナムなどだが、その中で、はずせないのがホイトートである。

牡蠣の卵炒めというシンプルな料理だ。これに近い日本の食べ物は「豚平焼き」だろうか。トンペイ焼きとは大阪のお好み焼き屋の定番メニューで、ブタのばら肉を鉄板で焼き、卵とじにした、お好み焼き的な食べ物で、ねぎ焼きと共に、常連が最初に頼むメニューである。

トンペイ焼きのブタを牡蠣にすればホイトートになる。路上やヤワラの中華料理店で食べることができ、ビールのつまみに最高の一品だ。値段は100円程度なので見つけたら是非食べてみてほしい。

解体新ショーねた

NHKの解体新ショーはとても面白い。最新の研究結果に基づいて体についての様々な謎を解き明かすので、マッサージなどの体に関わる仕事をする人にとっては最新の研究成果を知るいい機会になる。体というのはまだまだわかっていないことが多く、こういう時はこうすれば良くなる、といったことは経験則による知識はあっても、なぜそうなのかはわからないことが多い。そういうことが、日々理論的に解明されているわけだ。

昨日の番組では、女性が微妙な赤色の違いを見分けられる理由は、赤緑青に対応する3種類の視覚細胞以外に、もう一つ薄い赤という視覚細胞を持っているからだという。

驚いた。

4原色の人間が(多数)いるわけだ。

ご存知のように、テレビのような発光するものはレッド、グリーン、ブルー、印刷物のように反射するものはシアン、マゼンタ、イエローの3原色ですべての色彩を表現する。なぜすべての色彩を表現できるかというと、人間の目が、赤緑青に対応する3種類の視覚細胞しか持っていないからである。もし人間の目が2種類の視覚細胞しか持っていなければ、2原色で(人間が識別できる)すべての色を再現できるという理屈だ。

ならば、4原色の目を持っている人は3原色のテレビや印刷では足りないということになる。これから、より多くの色を表現するといううたい文句で4原色プリンタや4原色テレビが出現するかもしれない。

人間の体というのはまだまだ発見があるようだ。死ぬまでにどれだけ知ることができるだろう。

タイマッサージの才能

今日、非常に驚いたことがあった。

本日レッスン初日の方が尋常でなく上手なのだ。

タイマッサージ集中コースもおかげさまで既に30名近い受講生にご参加いただいているのだが、これほど驚いたことはない。

既にサロンでプロとして働いている方にもご受講いただだいているが、そういう方から感じる上手さとはまた違う、包み込まれるような温かさに満ちたタッチを持っている。

それが何から来るかというと、正しい姿勢、呼吸に合わせた一定のリズム、迷いのない手さばき、余裕のある身のこなし、的確な指圧ポイントという多くの要素をクリアしているからなのだが、初日からここまで美しく手技を構成できた人を今まで見たことがない。

私の教え方がうまいのか?

そんなことはない。誰に対しても同じようにレッスンを行っている。
聞けば、アロマオイルマッサージを仕事でやっているセラピストの方ということだ。しかし、指を滑らすオイルマッサージと、指や手を垂直に押すタイマッサージは全く異なる手技である。そういう経験ももちろんあるのだと思うが、人に対する姿勢、気持ちが愛に溢れているのだと思った。

頭がいいとか、飲み込みが早いとか、運動神経がいいとか、真剣さとか、努力とか、仕事のレベルを決める要素はいろいろあるが、タイマッサージの才能というのはやはり愛である。愛というのは好きということではなく、施術を受けている相手がどう感じているか、相手の気持ちになることができるということで、言い換えれば人格のようなものかもしれない。

私も、ピュアな愛に溢れた人になりたいものだが、努力してなれるものでもない。作家が才能溢れた若手に接して筆を折りたくなる心境がわかったような気がした。