2011年11月11日、辻堂駅前にテラスモール湘南がグランドオープンした。前日のプレオープンでも驚いたが、辻堂にこんなに人がいたのかという程の人出である。

規模がとても大きい。シネコンも入っており、規模や構成はラゾーナ川崎プラザと似ている。ショッピングモールとしてはオーソドックスな作りで、お台場ビーナスフォートのような衝撃はないが、長年辻堂に住んできた私にとっては、辻堂の駅前に突然原宿のような町が出現した感じで、唐突な違和感がある。

H&Mもあるし無印もある。自分の家から自転車で行けるところに都会が出現したことは便利でいいし、素直に嬉しい。多くの人々や元気に呼び込みをする店員を見ていると、私もいつか、こんなショッピングモールに出店して祭りに参加したいものだと思う。

今では当たり前のショッピングモールだが、日本に初めてできたのはいつなのだろう。1980年頃にロサンジェルスで初めて「モール」というものを見たときは衝撃だった。今では、バンコクやチェンマイ、そして北京にもショッピングモールができている。どのモールも似たような感じで、入っているブランドも世界標準の似たようなブランドだ。バンコクにエンポリアムやサイアムパラゴンができたときは、辻堂が突然都会になったように、バンコクが突然アメリカになったという衝撃があった。一応今でもサイアムスクエアやマーブンクロンやナイトバザールにタイらしい情緒は残っているが、歴史あるアジアの文化が突然アメリカンな町並みに置き換わるのは複雑な心境だ。どの町も、どの人も進化し、豊かさを享受する権利がある。だから、観光客気分でその町の発展を憂うのは単なる感傷といえるのだが、経済のグローバル化により国の町並みや文化がどんどん消滅するのは寂しいものだ。

思えば、テラスモール湘南は、ある工場の跡地にできた。グローバル経済、そして円高により国内でのものづくりが続けられないため、首都圏近郊の工場はどんどん閉鎖されている。そこへ、アメリカンな発想の世界標準なモールができる。今、問題になっているTPPもそうだが、国の境目をなくしてしまうということは、世界が一つの経済圏、文化圏に統一されるということである。町並みも同じようなものに収束していくし、貧富の差も、「豊かな国と貧しい国」ではなく、「豊かな人と貧しい人」が世界中に等しく存在するようになるだろう。それがアメリカの豊かな人の戦略であり、世界をすべてアメリカにしてしまおうというアメリカの戦略である。

歴史を振り返ると、小さな国は勝ち馬に乗らないと消滅する。勝ち馬に乗ることも傘下に入るという意味では国のアイデンティティを一時的に失うことになるのだが、反発して潰されるよりはいい。それが保身術というものだ。その意味で、日本の選択肢は一つしかないのだが、そのことによって発生する悲劇は最小限に抑えたいものである