司馬遼太郎の歴史小説を読んでいて非常に不可解なことがある。信長や秀吉の時代に、茶入れという小さな茶器に異様な価値があることである。例えば写真の初花肩衝(はつはなかたつき)、これ一個が物としてはどんなものよりも価値があったという。一国に値すると言われ、名絵師が書いた大屏風などよりはるかに高く、現代の価値で言うと、数十億、数百億くらいの感じだと思う。これがわからない。中国から伝わったものらしいが誰が作ったのかもよくわからないし、芸術作品としての素晴らしさもさっぱりわからない。国立博物館や徳川美術館で、初花ではないが、それに準ずる名物茶入の実物を見たがやはりわからない。これを作った人が最初に売った値段はひょっとすると千円くらいなのではないかと思うくらいだ。
経済ニュースを見ていて、ふと、これはビットコインのようなものかと腑に落ちた。ビットコインは茶入れ以上に原初的な価値は0だが異様な価格で取引されている。茶入れも千利休が「これは大名物だ」と宣言し、信長がすごいものだと思うようになって価値が形成された。最近ではバンクシーの絵とか、山崎ウイスキーとかロレックスの時計がそんな感じで高値になっている。要するに希少性だけが価値の源なのだ。デジタルで何でもコピーできる時代、逆にアナログな希少性を持つものの価値が跳ね上がるという構図とも言える。市場経済というのはやはり何かおかしい。