ダイエットの反動で湧き上がる猛烈な食欲、特に炭水化物が食べたい。
だから、吉野家が270円で並を売るということを聞くと頭の中は牛丼でいっぱいになってしまった。

何を食べようか、たくさんは食べられないがなるべくお得に食べたい。特盛りを一つ買うより、並と牛皿を買えば合計220円引きでお得だ、そんなことばかり考えて牛丼への妄想は極大化した。

最近牛丼を全く食べていなかったわけではない。祐天寺には松屋があるし、自宅の近くにはすき家もある。そこの牛丼は時々食べるのだが、吉野家が近所にない。吉野家の牛丼と紅しょうがは他よりうまいと思っているので、吉野家に対する飢餓感だけが高まっていた。

そして遂に、牛丼祭りの吉野家で牛丼をお持ち帰りで買って帰った。
計画通り、牛丼並と牛皿並みだ。この量なら一度に食べられるだろう。牛丼は紅しょうがをたっぷりかけて、そして牛皿には生卵をかけてすき焼き風に堪能した。

が、

あれっ、なぜか感動がない。牛丼はこの程度の味だったか。
食べ終わる頃には何だか空しさが残った。期待を裏切られた感じだ。

しかし不味かったわけではない。何度も味を確認したが、確かにこんな味だった。しかし、うまーい、とは思わなかった。なぜだろう?

結論は、最近の外食は10、20年前と比べて格段に進歩しているということ。スシローの寿司、かつやのカツ丼、coco壱のカツカレー、そしてすき家でのメニューのバリエーション、テキサスバーガー、どこも美味しさを競っている。
そう、相対的に牛丼の魅力が落ちたのだ。今や牛丼はそれほどご馳走ではない。他の選択肢は豊富だしレベルも高い。

吉野家苦境の理由はそういうところにあるのだと思う。吉野家は牛丼の味にこだわりアメリカ産牛肉にこだわり、価格が高くても吉野家ブランドの味を守るという経営戦略を取ってきた。しかし、いくら牛丼の味のレベルを保っても、それは牛丼以上にはならない。牛丼以上の選択肢がいくらでもあれば相対的に地位は低下していくのみだ。

レコード針やCD、ビデオテープなどの電気製品に限らず、製品や事業は時代と共にコモディティ化し、陳腐化し、価格が下がる。同じ品質を提供していくだけでは生き残れない厳しい世界が市場経済だ。

吉野家だけでなく、フィットネスやタイマッサージもどんどん新しいことを取り入れて進化しなければならないと思う