先日、中学3年の時の友達、そして、クラスの担任の先生と集まった。大学の時の友達というのは社会人になってからも毎年のように会ったりするが、中学の友達というのは疎遠になる。このメンバーも10年以上会っていないような気がするし、何年会っていないのかも忘れた。先生に至っては、中学卒業以来初めてである。
私の出身学校である東海学園中学は今や名古屋トップクラスの進学校らしい。没落した私の出身高校の都立青山高校とは対照的だ。
まあそんなことはどうでもいい。飲み進むうちにどきっとしたのは先生の口から出た望月という名前である。西村先生にとって望月は特別思い入れがあった生徒らしく、望月が・・・、望月は・・・、と何度か話題になった。望月はテニス部のエースで、高校時代はインターハイ等でかなり活躍したらしい。そして、私が中学1年、2年の時の親友だった。中学3年になり、私はテニスはあまり上手にならず、それほどやる気があったわけでもなかったのでテニス部を辞めた。それ以来、望月とはあまり一緒に遊ばなくなり、その後、私は東京に引っ越すことになったので完全に疎遠になった。
「親友」というのはなかなか思い入れのあるもので、中1中2の時の望月、中3の祖父江、高1の工藤、高2の島谷、ありありと思い出せる。今思えば、子供の頃の親友というのは恋愛をする前の段階での、性別の無い恋愛みたいなものなのかもしれない。
疎遠になった親友というのは、今でもちょくちょく思い出すもので、今どうしているのかなあ、このまま疎遠のまま一生を終えてもいいのかなあ、またより(?)を戻したいなあ、などと考える。西村先生から望月の名を聞いたとき、私は、今このタイミングで思い切って連絡してみようと思った。
翌日、中学時代の名簿を探して、その当時の電話番号を見つけた。その電話番号が通じるとも思えないが、ご両親は同じところに住んでいるかもしれないし、だめもとで掛けてみた。電話に出たのは驚いたことに望月のお母さんであった。驚いたのはそれだけではない、望月と、望月の家の別荘に遊びに行ったとき私が宿題を手伝ったこととか、細かいことまでよく覚えていてくれてすぐに私が誰かわかってくれて、もちろん望月の電話番号も教えてくれた。次に驚いたのは、現在望月が住んでいるのが私の住所のすぐ近くであったことだ。
今日からまた、望月との親交が復活するかもしれない、そんなちょっとしたわくわくした気分で望月に電話をした。
私「望月? 元気?! おれ、岡田だよ、中学のテニス部の!」
望月「誰? 岡田? 誰?」
私「(一緒に遊んだ時の思い出をいろいろ語る)」
望月「・・・・。思い出せない。岡田? いたかなあ、別荘に行ったのも誰と行ったのか思い出せない。最近記憶力が悪くて。今は、銀行員をしている。とりあえず連絡先教えといて。」
話はここまでだ。結局最後まで私のことは思い出してくれなかった。もちろんその後連絡はとっていない。古い友達からの電話で、アムウェイとかネットワーク商法の勧誘とか思われるのもいやだ。
何か大事にしていた大切なものを失ったような気がした