先日、スクールを設立して7周年となった。正確に言うと、スクールと同時にヨガスタジオも始めたので、その母体となった会社を登記してから7年である。

早いものだ。とりあえず作ってしまえ!と立派な教室を建設してから試行錯誤を重ねながらなんとかやってきた。すべての起業家が味わうだろう、苦労をする楽しさを感じながら今日まで生き延びてきた。あと何十年かして人生を振り返るときに、あのころが一番楽しかったなあ、と思えるような7年であったと思う。
自分では、気がついたら7年になってたというだけで、今後も気がついたら10年になるだろうし、20年になるだろうし、50年くらいにはなるかもしれない。ところが、世間一般的にはそれはそんなに簡単なことではないように思う。

スクールの近くの三宿通り沿いに店舗がかならず潰れる物件がある。長い間、nordという喫茶店があった建物で、一階が喫茶店で、地下が別の店になっている。nordは大丈夫だった。そんなに繁盛しているわけでもなかったがまあまあ人が入っていたカフェだったが、nordが閉店した後にスリーロティサリーという店になった。
それが約1年前である。オープンした時は、店の看板やデザインが、六本木か原宿にあるようなチェーン店っぽいロゴのデザインだったのでチェーン店かと思ったがそうではなく個人でやっていたようだ。鶏の丸焼きを切り分けて食べる料理とチキンカレーの店で、一度行ってみようと思っていたのだが、先日なくなっており、今は改装して五本木バルという店になっている。同じ経営者が新装オープンしたのか、違う人が始めたのかはわからないが、とにかく、スリーロティサリーは1年も持たずに閉店したことになる。一度くらい食べてみたかったのだが、すぐ近くの私が一度も食べなかったということが閉店した理由でもあるだろう。

何が悪かったのか。まずは、デザインがこなれすぎていて、チェーン店っぽかったのが逆に災いしたのではないか。このところ、和民が急速に経営悪化しているように、チェーン店だとまずい(レトルトっぽい)というイメージがある。そのため、唐揚げやとか惣菜屋はあえて手作りっぽい雰囲気を演出するのだが、スリーロティサリーは店舗デザインを依頼されたデザイナーが自分のデザインセンスを誇示することに夢中になってしまったのか、「出来立て、うまそう」という生々しい雰囲気を全く感じさせない、食べ物屋にも見えない美しい雑貨屋のような仕上がりであった。素人が店を始めるときに、間違ったデザイナーに頼むとこうなるという見本である。もちろん敗因はそれだけではないだろう。商品と立地条件が完全にミスマッチしたのは致命的だ。チキンというのは焼きたてだからうまい。常に焼きたてを提供するためにはお客さんが買う前に最終調理をしなければならない。しかし、鶏の丸焼きはそうは行かない。一回に作る量が多いし時間もかかる。結果として作り置きになる。すぐに売れればいいが、あの立地条件は人の流れのブラックホールのようなところになっており、そんなに人が通らないし、何か食べたい人は特に通らない。なかなか売れないので、作ったチキンは時間がたってまずくなる。たまに売れてもまずかったと思われるからまた来てはくれない。こういう悪循環に陥ったのだろう。きれいな店を作った時の喜びから全然お客さんが来ない悪夢への転落、私もそれを経験しているだけにここの経営者の気持ちを思うと胸が痛くなる。

私がよく買う、日本一という焼き鳥チェーン店がある。そこはいつも行列ができている。とにかくうまいのだ。作り置きではなく、後ろでどんどん焼いている。回転の良さが出来立てのうまさを生み出し、それが、回転の良さを生み出す、驚異の好循環である。驚異なのは、売っているのはスーパーの総菜売り場にあるような焼き鳥でそれは特に安いわけでもないし宣伝もしていないし、20:00を過ぎても絶対に割引をしない。それなのに、行列が絶えないのだ。うまさだけで商売を成立させてしているところが圧倒的で、あらゆる商売の見本だと思っている。

スリーロティサリーがあった建物の地下にも飲食店があり、この物件はもっとひどい。一年おきに店が変わる。いつも居酒屋とか沖縄料理とかだが、前の店は夜逃げしたという噂がある。今の店はいつまでもつのだろう。

続く