少し前に変なことがあった。私のマンションの部屋番号についてのことなのだが、そのままだとまずいので、仮にその番号を203、206とする。
ある夜、宅配ボックスに荷物が届いていた。出してみると、注文した覚えのないナイキの靴の箱だった。宛名を見ると、受取人の名前は見ず知らずの女性だが、住所は部屋番号に至るまで正しい。ちなみに私の部屋番号は203である。翌日荷物に書いてある電話番号に連絡することにして寝たのだが、翌朝管理人室から連絡があり、その荷物は同じマンションの206の人宛のものであることがわかった。注文の際に間違ってしまったらしい。無事渡して、この件は一件落着した。
と思われた。が、
それからまだ何日も経たない頃、うちのヨガインストラクターが出産のため辞めることになり、スタジオ備品を郵便で返却してもらうことになった。しかし何日たっても来ない。本人はもう何日も前に送ったと言うので郵便局にも確認してもらったところ、翌日ポストに届いていた。郵便局の人が連絡を受けて投函し直したのだろう。何で届かなかったのか不思議に思いながらあて先を見ると、住所や私の名前は正確だが部屋番号が206号室宛になっている。私の部屋は203なので届くはずがない。その人に伝えていた住所を見返したがちゃんと203とメールに書いてあるので、ヨガインストラクターが勝手に間違えたのだ。そこであることに気が付いた。先日の間違いも206であった。郵便物の間違いなどこれまでに一回もないくらい頻度が低いものだが、同じ時期に全く関係のない事象で同じ部屋番号で間違いが起こるものだろうか。このマンションの部屋は40以上あるので偶然にしてもほとんどあり得ないことだ。
実はこのようなことが日常生活でちょくちょく発生する。よくあるのが音楽関係。久しぶりにドナ・サマーの曲を聞きたくなって聞いたら、その翌日に死去のニュースを見た。マール・ハガードのときも、ピーター・グリーンの時も、イアン・ミッチェル(ベイシティローラーズ)の時もそうだった。何十年ぶりかにその人の曲を聴くと、その後訃報があったりする。ビーチで頭の中でカントリーロードを歌った後で入ったレストランでカントリーロードがBGMで流れたこともあった。運転していてナンバープレートが0001の車を見ることは珍しくないが、ある日珍しく隣席に人がいるときに信号待ちしていたらそれに遭遇して、「0001だね」と言った瞬間、その隣の車も0001だった。三軒茶屋にいい物件が欲しいなと思ったら出現する、インストラクター不足に悩むと必要な人が現れる、こういうことは考えすぎか。
世の中では、久しぶりにある人のことを話題にするとその翌日に電話があるとか、困っている時に偶然手に取った本を開くとそこに解決策が書いてあったとか、そういうのをシンクロニシティと言う。それが本当に確率的な偶然なのか、そうではないのかは未だに解明されていないが、私の生活感覚からすると偶然にしてはおかしいことが時々起こる。それは我々が知らない未知の世界のことで、神のいたずらなのか、未知の力が働いているのか、実は世界はバーチャルリアリティなのか、そもそも私の脳内だけにある空想なのか、要するに、わからない。
こういう不可解なことは量子力学の理論の中では起こりうるという話を聞いたことがある。理論物理学の世界では距離や時間が逆転していたり意味を持たなかったりする。ここで話は飛躍するが、巷で見かけるエネルギーヒーリングとか遠隔治療、これは量子力学的に説明できるという人がいる。東大生でも量子力学どころか相対性理論の理解すら困難なので、その人が量子力学を理解しているとは到底思えないが、私も上記のような経験上、そういうことは完全には否定できないと思っている。世の中にあるエネルギーヒーリングのほとんどはインチキかプラシーボ効果に過ぎないとは思うのだが、その中に、仮に本物があるとしよう。そしたら電話一本で体が良くなるのでタイマッサージなんか要らないだろうか。
これについては私は明確な答えを持っている。食べなくてもお腹がいっぱいになるレストランは嬉しいだろうか。飢餓に苦しんでいる国とかならいいかもしれないが、日本のような国では食事の時間が一日の中で一番楽しい時間である。マッサージもそうで、同じお金を払うなら、何もされないで終わるより、2時間くらい、暖かい人の手による至福の時間を過ごす方が遥かに幸せだと思う。