年末年始のテレビで、イチローのロングインタビュー番組を見た。
イチローの家や滞在先のホテルで話を聞くのだが、最も印象に残ったのはカメラに映りこんだ、彼の着替え用の衣類である。
お店で陳列されているように綺麗に畳んで、寸分の狂いもなく何枚も綺麗に重なっている。
滞在先のホテルである。誰も見ていないし、そこまで綺麗に畳んでも実利は何もない。しかし彼はそれをやる。会社勤めをしているとき、特に工場で現場の整理整頓、そして帰宅時に自分の机の上を綺麗に片付けるというのをうるさく言われていたことを思い出した。
イチローは完ぺき主義者だし、工場も雑然としていると事故のもとになるから、というのはひとつの解釈だし間違いではないだろう。ただ、私もこの年齢になってわかるのだが、本質的にはそういうことではないように思う。
Tシャツを綺麗に畳んだところで何かいいことがあるわけではない。ではなぜ雑然としているといやなのか。それは、イチローが自分の仕事である野球の技術の何に問題があるか、そして、どうすればもっとよくなるかを考えるときに、頭の中で、あるいは体でどこに問題があるのかをひとつひとつチェックしていくのだが、そのすべてのひとつひとつが完全でないと完全でないところが見えてこない。例えばグローブの表面が多少汚れていても捕球には問題がないとしても、そこに汚れがあるということがノイズとなり、ノイズの積み重ねが本来修正しなければならない精妙な何かを見えなくしてしまう。だから、グローブも完全な状態でなければならないし、突き詰めていくと、生活を取り囲むすべてのものがノイズ、雑念を発生しない静かな整理された状態でなければならない。
職場や仕事での整理整頓も同じことだ。精度の高い思考をする人は机の上が散らかっていると集中できない。頭の整理をして、集中力を高める際に同時に、机の上やパソコンのファイルを整理してからでないとスタートできないのだ。私もそうだ。
天才は違うかもしれない。イチローが自分は天才ではないというのはそういうところなのだろう。私生活がぐちゃぐちゃなのに打ちまくる大リーガーのことを天才だと思っているに違いない。
お店の運営や、タイマッサージの技術も、きちんと整理整頓して取り組む人はレベルが高い。サービスも技術も、整理整頓から精度が高まり、ディテールに魂が宿る。どんなにデザインが優れた店舗も、完成されたタイマッサージも、行う人が雑ならば細部のこだわりは見えてこない