いよいよ、シンチャイ先生の施術。
「どこが悪いのですか?」
特に深刻な悩みはないのだが、私の体の筋肉は全体的に堅く、特に肩甲骨の内側が堅いのか、肩甲骨が羽根のように浮き出して来ず、肩甲骨がどこにあるのかもわかりにくい。そして、この数日、ある運動を毎日していたせいか前腕が張っている感じでだるい。その旨伝えた。
わかった、では小さな椅子に座って、と施術が始まった。
基本スタイルは、セン(筋肉上のライン状の凝り)を親指や四指で捉えて弾くキアセン(ジャップセン)、そして、肘(正確には肘に近い尺骨)を乗せて体重をかけたり、スライドさせたり回転さえたりするエルボースタイルが中心。確かにストレッチ技は少ないが、目が見えないことを考えればそれは当然のことである。
施術については、評判やネットでの書き込みでは「超気持ちいい」とか「柔らかいタッチ」とか「すごい技」とか、そんなとにかく名人だという表現ばかり目に付くのだが、施術テクニックは極めてオーソドックスで、基本に忠実だ。というより、タイマッサージ以上に基本に忠実なことに気がついた。
何に驚いたかというと、彼の施術手順は、いわゆるタイマッサージ・シーケンスのような定型な手順ではなく、また、10ラインのような特定のセンを辿っているわけでもない。まず、上腕三頭筋、次に僧帽筋、肩甲挙筋、大胸筋、小胸筋、横向きでは、腰方形筋、菱形筋、・・・と、個々の筋肉に対して、その筋繊維の方向に沿ってクロスファイバーストレッチ(筋繊維を交差するように弾く)を忠実に繰り返し行っているのだ。なぜそれがわかるかというと、その動きが明らかに一つの筋肉を終えたら次の筋肉というように一つ一つをやっつけていく動きだからだ。施術だけでなく、施術の前後にその筋肉の可動域を確認し、施術によって筋肉が緩んだかの確認も行う。つまり、タイマッサージというよりも、(テクニックはタイマッサージだが)スポーツ医学的なクリニカルマッサージなのである。
個々の筋肉の緩め方も、触りながらトリガーポイントを見つけ、繰り返し穏やかな刺激(クロスファイバーストレッチが多い)を痛くない程度に行うスポーツ医学的な解し方。オイルは使わないが、表皮をうまく滑らして、筋繊維上で指、肘をスライドさせる。その力加減が絶妙なので、受け手はものすごく気持ちがいい。
彼の施術が多くの人に絶賛される理由は、彼が的確にトリガーポイントを見つけ、的確に(不要な痛みを発生させることなく)それを緩めることにある。凝りやトリガーポイントがない部分を施術する無駄がないので常に気持ちがいい。ピシェット師やピシット先生のような名人に共通した特徴であるが、シンチャイ先生の場合は、その刺激が常に快感を伴うようなリズムを持っていることが特筆すべき点だ。
全盲でありながら、触りもしないで悪いところを当てる(見えないので触らないでわかるわけがない)、等々の事前情報から、神秘的な、エナジーワーク的なことをするのかと思っていたが、実際には極めて解剖学的で合理的な施術であった。
施術後に私は質問した。先生はセンをベースに施術しているのですか、それとも解剖学をベースに施術しているのですか?
即座に答えた。「解剖学だ。筋肉をベースに行っている。」
シンチャイ先生は解剖学の深い知識を持っている。彼の流暢な英語を聞けば、彼が勉強熱心な人であることはすぐにわかるが、解剖学についても医学的な知識を持つ先生について熱心に学んだのだろう。最近のタイマッサージはタイ厚生省においても解剖学をベースに更に研究が進み精度が増しているが、チェンマイの盲目のタイマッサージ師がそのようなスタイルで施術、レッスンを行い、それが支持を集めていることを見ても、今後も解剖学ベースでタイマッサージを捉える流れは加速していくものと見られる。
それにしてもシンチャイ先生、全盲である。全盲の人が、何不自由ない健常者のために、朝から夕方まで施術を行い、そして夜はレッスンまで行っている。これだけ評判になり予約が多くなれば、値段を何倍にも上げることもできるだろうが、何年経ってもその気配すらなく、その他一般のマッサージ師と同じ料金据え置きである。贅沢をするわけでもなく、偉そうにするわけでもなく、笑みを絶やさず、常に周囲に気を配り、どんな人にも幸せになってもらおうと一生懸命。完全な逆転現象だ。75歳にして施術を続けるピシット先生もそうなのだが、身障者や老人にお金を払って施術をしてもらうということは、何なのだろう・・・。それでいいんだろうか、いいわけはない。シンチャイ先生は何を思って生きているのだろう、自分の生き方はこれでいいんだろうか・・・
そういう命題を突きつけらたような気もした。シンチャイ先生というのは、そういう人格的な崇高さを人に感じさせる存在でもある。
生徒に手技を教えるシンチャイ先生(右)
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