無邪気ということ

タイマッサージの達人達には共通項がある。

無邪気

大学教授や医者と協力してタイマッサージを現代に復興させ、国家資格化にも大きな貢献をしたピシット先生と聞くと、大学の先生やお医者さん、あるいは大企業の社長のように重厚で厳粛な方かと想像してしまうが、実際にはいつもニコニコ、笑顔が耐えないとても親切で優しいお方である。童話の一休和尚か、良寛和尚のようなイメージである。

チェンマイの人里離れた郊外のアシュラムに信者を集めるピシェット師にしても、教団教祖のような重々しい感じは一切なく、やはり常にハッピーな感じで、とても気さくで親切な兄ちゃんみたいなお方である。

ママレック、ワンディ、シンチャイ、・・・、どの先生もやはり同じで、ハッピーを撒き散らしているような人ばかり。それがどこから来るかというと、無邪気さなのだ。

そう、無邪気な子供のような感じで、世間知らずな子供だから幸せなように、世間を知っているにも関わらず、そういう人間の汚いところを一切見ようともせず、人を信じ、邪さのない、きれいな心を保っている。

悟った坊さんのようでもある。

無邪気だからタイマッサージの達人になったのか、タイマッサージを極めようと努力する過程で無邪気という要素が必須であることに本能的に気づいてそこを無意識に磨いていったのか、それはわからないが、無邪気ということがタイマッサージで非常に大事なことであることは間違いないような気がする。4月に来日するワンディ先生もとても「無邪気」な先生なので、参加される方にはワンディの人間離れした無邪気っぷりを感じていただきたいと考えている

写真は、「無邪気な」ワンディ先生と筆者

タイの電話事情(4) – 日本からタイへの国際電話

ワンディ先生が来日することになった。

そこで、タイへ国際電話をすることになったので、どうするのが一番安いか研究した。

NTTやKDDIの通常の国際通話料金は論外として、IP電話の料金は一分23円だ(ちなみにNTTひかり電話だと45円)。短時間なら、リーゾナブルといえる。ちょっとならこれで十分だろう。

しかし、国際電話カード(Neo-platinum)というものを使えば劇的に安い。BフレッツやADSLのような常時接続環境で、パソコンから電話すればなんと、一分2.5円である。タイの携帯電話にかけてもその料金なので、国内の固定電話や携帯にかけるよりも一桁安いというのは画期的だ。これを使おうかと思った。

しかし、一つ問題があった。購入単位が2000円なのだ。2000円ということは、13時間分ということになる。そんなに使うわけがない。

そこで、skypeを使うとどうか調べてみると、200円という料金で1カ月の間、60分も通話できる。一分3.3円の計算だ。安すぎるのではないかという安さだ。で、これを使ってみた。受話器は、前からskype用に使っている、1000円程度のもの。何度もかけてみたが、タイで通話しているような安定した音質で、ストレスなく会話できた。しかも、ただ同然の通話料金。

経済のグローバル化の賜物だが、こういう国際価格破壊が更なるグローバル化を促すのだろう。産業も雇用も海外に流出、そして海外から流入する環境は整ってきている

タイマッサージ師列伝5   シンチャイ(2)

いよいよ、シンチャイ先生の施術。

「どこが悪いのですか?」

特に深刻な悩みはないのだが、私の体の筋肉は全体的に堅く、特に肩甲骨の内側が堅いのか、肩甲骨が羽根のように浮き出して来ず、肩甲骨がどこにあるのかもわかりにくい。そして、この数日、ある運動を毎日していたせいか前腕が張っている感じでだるい。その旨伝えた。

わかった、では小さな椅子に座って、と施術が始まった。

基本スタイルは、セン(筋肉上のライン状の凝り)を親指や四指で捉えて弾くキアセン(ジャップセン)、そして、肘(正確には肘に近い尺骨)を乗せて体重をかけたり、スライドさせたり回転さえたりするエルボースタイルが中心。確かにストレッチ技は少ないが、目が見えないことを考えればそれは当然のことである。

施術については、評判やネットでの書き込みでは「超気持ちいい」とか「柔らかいタッチ」とか「すごい技」とか、そんなとにかく名人だという表現ばかり目に付くのだが、施術テクニックは極めてオーソドックスで、基本に忠実だ。というより、タイマッサージ以上に基本に忠実なことに気がついた。

何に驚いたかというと、彼の施術手順は、いわゆるタイマッサージ・シーケンスのような定型な手順ではなく、また、10ラインのような特定のセンを辿っているわけでもない。まず、上腕三頭筋、次に僧帽筋、肩甲挙筋、大胸筋、小胸筋、横向きでは、腰方形筋、菱形筋、・・・と、個々の筋肉に対して、その筋繊維の方向に沿ってクロスファイバーストレッチ(筋繊維を交差するように弾く)を忠実に繰り返し行っているのだ。なぜそれがわかるかというと、その動きが明らかに一つの筋肉を終えたら次の筋肉というように一つ一つをやっつけていく動きだからだ。施術だけでなく、施術の前後にその筋肉の可動域を確認し、施術によって筋肉が緩んだかの確認も行う。つまり、タイマッサージというよりも、(テクニックはタイマッサージだが)スポーツ医学的なクリニカルマッサージなのである。

個々の筋肉の緩め方も、触りながらトリガーポイントを見つけ、繰り返し穏やかな刺激(クロスファイバーストレッチが多い)を痛くない程度に行うスポーツ医学的な解し方。オイルは使わないが、表皮をうまく滑らして、筋繊維上で指、肘をスライドさせる。その力加減が絶妙なので、受け手はものすごく気持ちがいい。

彼の施術が多くの人に絶賛される理由は、彼が的確にトリガーポイントを見つけ、的確に(不要な痛みを発生させることなく)それを緩めることにある。凝りやトリガーポイントがない部分を施術する無駄がないので常に気持ちがいい。ピシェット師やピシット先生のような名人に共通した特徴であるが、シンチャイ先生の場合は、その刺激が常に快感を伴うようなリズムを持っていることが特筆すべき点だ。

全盲でありながら、触りもしないで悪いところを当てる(見えないので触らないでわかるわけがない)、等々の事前情報から、神秘的な、エナジーワーク的なことをするのかと思っていたが、実際には極めて解剖学的で合理的な施術であった。

施術後に私は質問した。先生はセンをベースに施術しているのですか、それとも解剖学をベースに施術しているのですか?

即座に答えた。「解剖学だ。筋肉をベースに行っている。」

シンチャイ先生は解剖学の深い知識を持っている。彼の流暢な英語を聞けば、彼が勉強熱心な人であることはすぐにわかるが、解剖学についても医学的な知識を持つ先生について熱心に学んだのだろう。最近のタイマッサージはタイ厚生省においても解剖学をベースに更に研究が進み精度が増しているが、チェンマイの盲目のタイマッサージ師がそのようなスタイルで施術、レッスンを行い、それが支持を集めていることを見ても、今後も解剖学ベースでタイマッサージを捉える流れは加速していくものと見られる。

それにしてもシンチャイ先生、全盲である。全盲の人が、何不自由ない健常者のために、朝から夕方まで施術を行い、そして夜はレッスンまで行っている。これだけ評判になり予約が多くなれば、値段を何倍にも上げることもできるだろうが、何年経ってもその気配すらなく、その他一般のマッサージ師と同じ料金据え置きである。贅沢をするわけでもなく、偉そうにするわけでもなく、笑みを絶やさず、常に周囲に気を配り、どんな人にも幸せになってもらおうと一生懸命。完全な逆転現象だ。75歳にして施術を続けるピシット先生もそうなのだが、身障者や老人にお金を払って施術をしてもらうということは、何なのだろう・・・。それでいいんだろうか、いいわけはない。シンチャイ先生は何を思って生きているのだろう、自分の生き方はこれでいいんだろうか・・・

そういう命題を突きつけらたような気もした。シンチャイ先生というのは、そういう人格的な崇高さを人に感じさせる存在でもある。

生徒に手技を教えるシンチャイ先生(右)

タイマッサージ師列伝5   シンチャイ(1)

私の先生の一人であるワンディに、チェンマイで一番お勧めの先生は誰か聞いてみた。答えは、

「私が一番だ」

・・・。

わかった、では二番は誰か?

シンチャイだと言う。全盲でありながら、病院でもタイマッサージを教えていたという。そばにいたヨーロッパ人の男性も、「シンチャイはすごい、素晴らしいマッサージをする。ものすごく気持ちいいのに痛くない。施術は指圧、肘圧を中心としており、ストレッチは少ない」と大絶賛していた。

実はシンチャイという名前はワンディ以外からも複数の人物から聞いていて、どうやら現在チェンマイで、欧米人に大評判らしい。欧米人は、日本人に人気のチェンマイクラシックアートや、TTCスパスクール、CLSのようなちゃんとした(形式の整った)学校より、アジア的な無秩序な混沌とした神秘的な先生を好むようで、(線香臭い)ピシェット師詣でをするケースが多かったが、トレンドがシンチャイ先生に移ってきているような感じだ。

確かに、全盲のマッサージ師がすごい施術をするというのは神秘的で興味深い。聞けば、2時間400Bで施術してくれると言う(タイを代表するマスターの一人が僅か1100円で二時間もしてくれるのは信じられない)。ただし予約が多いので数日待たされる可能性はあるらしい。

歩いていける距離なのでとりあえず行ってみた。すると、そこにシンチャイ先生がいて、「明日は予約でいっぱいだが、明日バンコクに帰ってしまうのなら何とか時間をつくりましょう」と言ってくれた。初対面にもかかわらず、私のためになんとか時間ができないか一生懸命考えている様子が伝わってきて、この人は途方もない人かもしれないと直感した。ピシェット師のような(彼もきさくないい人だが)取り巻きに崇められた師匠肌の人かと勝手に思っていたが、全くそうではなく、その評判を知らないものならば単なる気の毒な身障者というような哀愁がただよっている。しかし、なんと言うか、人に同情を求めるような空気は全くなく、周囲の人に対して気配り、愛情を発散している、そして、自然に人を指導する立場として振舞っている。周囲の人は、先生、先生と明らかに尊敬の気持ちを持って接している。

大げさに言えば、キリストのような人だ・・・

彼の心の世界、彼がこれまで歩んできた道に思いを馳せながら、明日の時間を待つことになった。いったいどんな体験が待っているのか・・・

(続く)

シンチャイ・タイマッサージの外観

ピシット先生講習会

さて、ピシット先生の来日講習会。

実現まで、様々な苦労があったが、ビックリしたのはピシット先生の人気、

公開から2日で半分以上の枠が埋まり、既に木、金は満杯、

今回は多額の費用を覚悟しているので赤字でもいいかなと思っていたが、これなら大丈夫そうだ。

参加される方にはピシット先生の教え子の方も多い。そういう方に共通しているのは、みんなピシット先生が大好きだということだ。
「ピシット先生が日本にいらっしゃるなら、仕事を休みにしてでも駆けつけたい」ピシット先生に習えることも素晴らしいことだが、そんな動機で参加してくださる方が多いように思える。そう、先生はいつもニコニコ、ものすごくいい人で、とにかく人への愛情が素晴らしい。そういう人柄があるからこそ、あのような素晴らしいマッサージになるのだと思う。今回初めて先生に会う方も、一度会ったら先生のファンになってしまうことは間違いないのではないか。

今回のワークショップには、日本全国からタイマッサージの経歴がすごいマッサージマスターたちが集まるのも楽しみの一つだ。もちろん、バンコクに行けばピシット先生に直接習うことはできるが、これだけの学習歴、お仕事歴を持っている先生レベルの方たちが日頃どのような悩みを持ち、何を先生に質問するのか、それに対してピシット先生はどのようなアドバイスをするのかが今回の最大の見所であり、そういうことはバンコクでは得られない。

ピシット先生の面白いところは、引き出しが無限にあることで、タイマッサージについてのありとあらゆることに対して答を持っている。だから、通常のレッスンでは教えないことも、質問の種類によっては飛び出してくる。レベルが上がれば上がるほど、それに見合った知識を授けてくれるので、学ぶことが尽きない。

今回参加される素晴らしい方々との出会いも楽しみだし、そういう方によって引き出されるであろう、今まで知らなかったピシット先生の技や知識に接することができる、思ったより内容の濃い、日本のタイマッサージ史に残るビッグイベントになりそうな予感だ。(ちょっと大げさか・・・)

いろいろと大変だったが、企画してよかったと思っている

タイの自転車事情

王宮付近を歩いていて面白いものを見つけた。自転車専用レーンである。

ところが、当然誰もそこを走っていない。そういえばタイで自転車に乗っている人を見た記憶がない。中国と大違いである。

タイで自転車が普及しない理由はたくさんある。

暑い、歩道、車道が自転車向きに出来ていない、置き場所がない等々。

先進国で自転車に乗る人は、健康のため、環境のためという意識が強いと思うが、そういう意識もタイではまだ一般的ではないだろう。

そんなタイでも、国をあげて自転車を普及させようという動きがあるらしい。写真の自転車レーンもその一環だろう。

歩道に露天、屋台が並ぶバンコクで大勢の人が自転車を使ったらどうなるのか、想像できない世界だが、露天を撤去して自転車レーンを作り、近代的な街になってしまうのも悲しい。バンコクはいつまでもカオスであってほしい

進化するタイマッサージ

実は、当スクールで教えているタイマッサージは毎年変化している。
「前に教えてもらったことと違う」ということがよくある。

変化する理由は、ピシット先生自身が手技を変えるからである。技術のキャッチアップを行うため毎年2回、バンコクを訪問することにしているが、行く度にピシット先生が教えることが微妙に、時に大きく変わっている。副教師のパーニー先生とピシット先生が教えることが違うことも多々ある。パーニー先生がやり方が変わったことを聞いていないからそういうことが起こる。

行く時期によって言うことが違う、先生によって教えることが違う。学校として教えていることがぶれている、いい加減、と取られがちがだそれは違う。ピシット先生が現在も手技を改良、修正し続けているのがその理由だ。

そもそも、タイマッサージはルーツもたくさんあり、先生によって言うことも違う。タイマッサージは単一ではなく、50年ほど前までは王宮、寺院系、そして田舎のタイマッサージと多くの流派が乱立していた。

この30年ほど、それらを現代医学的な視点で見直し、再構築し、国家資格化をしようという取り組みが行われてきた。そのプロジェクトにピシット先生は深く関わっている。

それが、どういうものかというと、たった一つの指圧ポイントがどこかについて大学教授、医者、複数のタイマッサージマスターが丸一日議論をすることもあるらしい。医学的知見、そして、押したときのセンへの響き、治療効果、古い文献、そういうものを多角的に見直して、正確な知識を積み上げていくという気も遠くなるような作業を行っている。その結果、より精度が高くなる方向に手技は変化する。ピシット先生が他の先生の手技を変化させることもあるし、ピシット先生もいいと思ったことはどんどん取り入れる。

2年前の国家資格化により、一段落したその会合だが、現在も行われている。医学も、伝統医療も日々新しい発見があり、進化は止まることはない。これで終わり、完成ということはない。

チェンマイ等の田舎のマッサージマスター、そして一般的な多くのタイマッサージスクールは、学者や他のマッサージマスターと交流せず、何年も同じやり方を続けているケースがほとんどである。

医療や技術というのは本来、日々進化して当然のものだ。
教えてきたやり方を捨て、新しいやり方を取り入れるのは勇気の要ることだ。生徒の前で、過去の自分を否定することになるから。
ピシット先生は、現在既にタイマッサージの第一人者として名声を確立しているにも関わらず、自分の手技を客観視し、他の先生の意見についても正しいと思ったことは素直に取り入れ、日々技術を進化させているところが凄い。
ピシットスタイルが他のスタイルより素晴らしい理由の一つはこういうところにあるし、だからこそ、ピシット先生がタイマッサージの第一人者であり続けるのだろう。

「完成したと思った瞬間から後退が始まる」というのは私の持論だが、私も常に勉強を怠らず、自分のやり方を日々見直さなければいけないと思う

下の写真は、王宮近くで売っているシワカ・コモラパ像

辛い物好きは痛みに強い?

私は一つの仮説を持っている。

「辛いものが好きな人は、強い(痛い)マッサージを好む」

下の写真は、バンコクのピシットタイマッサージスクールでの夕食光景である。ピシット先生がいるときには毎日昼と夜に皆で食べる。
ビルの地下の屋台から惣菜を買ってくるのだが、こういうのがタイ人の通常の食事だ。そしてそれが、辛い・・・
辛いのに、この写真の若い女性もおばあちゃんも先生も、全く辛くないかの如く、涼しい顔をして食べている。タイ人は常に激辛を普通に食べている。

そして、この子達とタイマッサージの練習をすると、「もっと強く!」という言葉が返ってくる。日本人のこの年代の女性にする感覚でやると戸惑うくらい、強い(痛い)マッサージを好む。

以前、このブログで、「タイ人のマッサージセラピストは痛いくらいに強くやる」と書いたことがあったが、タイ人が強いマッサージを好むというのもその一因だ。ではなぜタイ人が強いマッサージを好むのかというと、その理由の一つが「辛さに慣れているから、痛みにも慣れている」からではないかと考えている。

そもそも、辛いという味覚は、痛覚である。舌の痛みが辛さであり、辛いものを食べるとその痛みを和らげるために脳内モルヒネが発生する。辛い=快感となる。だから、辛いものを食べるのがますます好きになる。

痛みについてもそのメカニズムは働くので、痛さに慣れてくると快感を伴うようになる。だから、子供の頃は辛いのも痛いのも何が嬉しいのかさっぱりわからないのが、大人になると嬉しくなる(痛いのが嬉しいというのは語弊があるが・・・)。

どちらも痛覚なので、辛さに慣れている人は、身体の痛みに対しても脳内モルヒネが出やすくなっていて、痛いのを好むのではないか、そういう仮説だ。

実際に、何人かの人に聞いてみたら、すぐに痛がる人はやはり辛いものも苦手、強押し好きは辛いもの好きであった。

まだサンプルが少ないので偶然かもしれないが、タイ人と日本人のタイマッサージの強さの好みの違いを理解する上で、味覚の違いのようなものというのは一つの説明になるのではないかと思っている

タイマッサージの国家資格

タイ国でのタイマッサージの国家資格は2年ほど前にできたそうだ。

これまで国家資格がなかったことが不思議だが、1980年代のNPOによるタイマッサージ復興プロジェクト以前はタイマッサージが現代医療の陰に隠れて特定の学校、特定の教師により地域に密着した形で伝えられてきたことがその原因だ。

国家資格がなくても、タイマッサージ復興プロジェクトの活動を引き継いだタイ厚生省伝統医療開発局によりタイ人向けのタイマッサージ習得セミナーが開催され、修了証が発行されてきたし、ワットポーを始めとした多くの学校も順調に活動していたので、特に問題はなかった。

しかし、タイ政府は近年、タイマッサージを中心とした伝統医療を中国漢方のような世界的な一大産業にしようという構想を持っており、文部省、労働省、厚生省が連携しながらその構想を少しずつ形にしてきた。そして、諸外国で専門家としての就労ビザを取得するためには、それなりの資格を提示する必要があり、そのために国家資格をちゃんと作ったということだ。

システムは、タイ文部省認定校の、タイ厚生省認定教師(数十人いるらしい)が、それぞれ定員20名の生徒を2年間かけて育成し、所定のレポート、テストを経て合格認定を行うというものだ。

このシステムだと人気のある先生に生徒が集まることになるはずだが、ピシット先生は既に定員の20名の生徒を抱えているとのこと。先日もレポート提出のために何人かの生徒が来ていた。カリキュラムはタイマッサージ実技だけでなく、解剖学や伝統医療の薬草の知識、現代医学的な知識など、座学の時間も多いようだ。だから習っている人は、一定以上の学歴がある、知的な人が多い。

ところが、2年前にスタートしたのに、テキストはまだ完成しておらず、現在テキスト作成中なのだという。特にストレッチについてはピシット先生が第一人者とのことで、多くのピシットスタイル・ストレッチテクニックも今回のテキストには掲載される予定だという。

そろそろ、第一期生の卒業が始まるはずだ。あるいは他の先生のところから既に卒業生が出ているかもしれない。

日本は、専門能力を客観的に評価する指標がないことを理由にタイマッサージ従事者の入国・就労を頑なに拒んできたが、近い将来、国家資格を持つ人については入国を認めるということが現実味を帯びてきたと思う

探し続けていたもの

この一年ほどずっと探し求めてきたものがある。

どうしても必要なもので、スーパーに売っているはずなのだが、どこにも売っていない。大阪ではどこでも売っていたのに、関東では売っていないのか・・・

諦めかけていた。

ところが、それが見つかった!それとは

エースコックのワンタンメン。今ではカップ麺にもなっているので関東の人にもそこそこ浸透しているが、その東西温度差は相当なものだと思う。東京で探して見つからなかったときまで、ワンタンメンが関東では馴染みがないものだとは知らなかった。では大阪でどれほど定番かというと、出前一丁、チキンラーメン、サッポロ一番と同列の知名度だ。恐らくチャルメラより上だ。何よりその味が独特なので、ファンの中毒度は他のラーメンの追随を許さないと思う。

肉の入っていないワンタン、塩水のようなスープ、ふにゃふにゃの麺、まるでやる気を感じないそれぞれの要素が合わさると、実に優しく品のある味となる。インパクトが薄いだけに食べやすい。つるつると吸い込まれていく。

これをどうしても食べたくなるときがある。で、この一年ほど、色々なスーパーに行って探したが見つからない。もちろん楽天では買えるのだが何だか高いので買う気がしない。

それが、辻堂駅近くの、湘南モールfillのSANWAスーパーで見つかった。ここは、ワンタンメンだけでなく色々なおいしそうなものを売っていて、ついつい食品だけで8000円も買ってしまった。

帰り道で考えた。何だか楽しかったし、家に帰って食べるのが楽しみだ。一週間ほど色々楽しめそうだ。そういえば、いつも行っているジャスコにはこういう楽しさはないなあと。

そう、私はイオン(ジャスコ、まいばすけっと)が好きで、いつも行くのはジャスコだ。ジャスコのプライベートブランドのtop valu、best priceは品質も良く価格もどこよりも安い。だから愛用してきた。しかしいつのまにか、定番以外の商品を見かけなくなっていた。どの商品も無難だが面白みがないのだ。一時期のユニクロのようだ。だから買い物に行ってもついつい買いすぎることがない。魅力ある商品が少なく、衝動買いがないから。
最近は、行くのも面倒になり、イオンネットスーパーを使うことが多くなった程だ。

一方、SANWAは違う。地方の見慣れないおでんや、ご当地ラーメンなど、定番とは言えない個性溢れる商品やパッケージが多い。だから、これ何だろうと見るし、見ていると「買ってしまえ!」となる。ファッションだけでなく食品にも遊びが必要だと思った。

イオンはこのまま、低価格・定番志向で行くと、顧客離れを起こすのではないだろうか、かつてのダイエーのように。

同様に、タイマッサージの手技も、安全性や効率を配慮しすぎて、シンプル、簡単にしてしまうと、面白みがなくなるような気がする。多彩な技を駆使する必要はないのだが、する側、学ぶ側が従事する楽しさを維持するには、古いから、効率が悪いから、とヘンな手技をなくしてしまうのではなく、多くのやり方を選択肢として残し、伝え、取り込んでいく努力も必要だと思うようになった