ヨガ部門をもう少し充実させようと思って、最近ヨガの勉強をしている。

当スタジオがヨガをする目的は心と体の健康である。心と体を健康にし、美しい心身を作るためにヨガやピラティス、そしてタイマッサージがいいと思っているからやっている。その目的を達成するのにもっといい方法があるなら特にヨガにはこだわらない。

ところが、世の中にはヨガを探求することを目的とした、あるいはヨガの本質的なことを愛する人たちのためのヨガスタジオが多数存在する。

で、そのヨガの本質的な目的は何かというと「解脱」である。

ヨガはそもそも宗教的な修行である。ヒンドゥー教や仏教における密教というカテゴリーで、修行者本人が「解脱」するために瞑想(座禅)を行うのだが、ヨガは瞑想を成功させるための準備運動と位置づけられる。だから、本当のヨガの世界では、ヨガをして瞑想をしないということは全く意味がない。瞑想するためにヨガをしているのだから。

この方向に走りすぎると目的は「健康」から離れていく。どう考えても宗教になってしまう。現在のヨガ産業は、宗教にはなりたくない、だが、ヨガを突き詰めていくと宗教になってしまう、そのジレンマに悩み、本質を追求しつつも線香臭くならないよう、ファッションでカモフラージュしていると言ってもいい。このような「本格的ヨガ」はグル(先生)と言われる指導者がいて、生徒はヨガや瞑想を指導してもらう。神秘やお香の魅力に満ちたその世界は特に女性の心を掴みやすく、どんどん深入りしたくなる。だから、本格的ヨガスタジオは固定客を定着させるためにもそういう方向で経営したいが、度が過ぎると洗脳だの、カルトだの言われるので、そうならない、そう見えないラインを見つけようとする。その一つの答えが英語や白人、そしてかわいいヨガウエアに身を包んだモデルを多用して楽しくおしゃれに見せることである。

話が脱線してしまったが、私がここでどうしてもわからないことが、ではその人々を虜にしてしまうヨガの本質的な目的である「解脱」とは一体どういうものかということだ。悟りと言うこともあるし、サマーディと言うこともある。まあ、いわゆる釈迦の悟りという段階まで行った人は歴史上数える程しかいないとは思うが、サマーディのようなものはある程度ヨガで体験できるらしい。それはそんなにいいものなのか?

続く