タイのデモ

バンコクの赤シャツ派のデモで、日本人ジャーナリストが死んでしまった。

とても残念だ。死亡した村井さんだけでなく、私も、タイは仏教国、心優しい人たちが、人が死ぬような暴力行為などするはずがないと信じていたのだが、いとも簡単に多くの人が殺されてしまった。

ビルマでの事件を思い出した人も多いだろう。しかし、これまで、平和的に座り込みや行進を行ってきたタイ、突然発生したこの状況には猛烈な違和感を感じる。

なぜこんなことになってしまったのか・・・

まずは、今回のデモが、純粋な市民運動ではなく、デモ参加者は金で雇われているような人たちだということだ。生活が苦しいから日給目的でバンコクにやってきた人が多いらしい。こういうことが、裏からの金で動かされているということを知ると、タクシン政治が金にまみれた腐敗政治だったということが逆に信憑性を帯びてくる。

そして、デモ隊が銃や手榴弾で武装していたという驚き。金と武器を与えられて活動していたとなると、もはやデモではない、傭兵、そしてテロというジャンルになる。

それほど高額な報酬を貰っていたわけではなかろうが、タイ人は単純で怒りっぽい。怒りに火がついたら、先のことなど考えず、そこに武器があれば使っても不思議はない。ああいう人たちに武器を与えてはいけないのだ。

とは言っても、現在のアピシット政権も選挙で成立したわけではなく、黄シャツ派が空港占拠などを行った末に奪い取ったようなものだ。赤シャツのやり方が悪いと言える立場ではない。

どちらにせよ、外から見ていると、権力者達の利権、権力争いに一般市民が動員されているだけのように見える。古今東西の戦争の構図と同じだ。タイを支配している華僑達の縄張り争いに動員された貧しい市民が血を流して戦わされているだけなのだ。それを考えると、暴れている赤シャツ軍団も哀れに思えてくる。

真の民主化リーダーが現われ、本物の民主政治に移行することはできるのか? 永遠に平和だと思われていたタイが内戦状態に突入することだけは避けてほしい。今回の救いは、動機が宗教的な対立ではなく、金や生活にあることだ。だからお互いの恨みはそれほど根深いものではない、国民も熱しやすいが醒めやすい。そして仏教は殺生を禁じている。来年には嘘のように今までのタイに戻っていることを期待したい

江戸東京博物館

先日ピシット先生が来日した際に、先生を日本観光にお連れした。向かった先は浅草と江戸東京博物館。外国人向けの東京の観光スポットとして定番だ。もう少ししたらこの地域に東京スカイツリーができるので、観光スポットとしては磐石だ。

江戸東京博物館に行くのは私は初めて。ピシット先生は、展示物を興味深くご覧になっていたが、1時間くらいで飽きてしまったようだ。写真は先生が籠に乗った貴重な(?)ショットである。

そう、籠。なぜ江戸時代に高貴な人は馬車や馬ではなく籠を使ったのか。籠はそんなに快適なものなのか、興味は尽きないが私は先生の写真を撮ることで余裕がなく、自分自身が乗ってみるのを忘れてしまった。

こういう博物館は説明書きを読めば読むほど面白い。先生をホテルに送り届けてから我に帰り、もっとしっかり見ておけば良かったと後悔した。今度は一人で出かけ、すべての展示物をちゃんと見て来ようと思った。歴史に興味を持つとは私も歳をとったものだ

バンコクの赤シャツデモ

バンコクでのタクシン支持派のデモ。都市機能を麻痺させて選挙を実施させようという運動だ。今回はスクンビット地区のアピシット首相の自宅前に集結したようで、同地区に多数住む日本人が大変迷惑を受けたらしい。

幸い、仏教国のタイだけあり、アラブ人のような流血を伴う暴力的な運動にはならず、怪我人も出なかったようだが、在タイ日本人はとりあえず怖かったかと思う。流血と言えば、今回のデモ隊は献血で集めた血を袋に詰めてぶちまけるという作戦を決行したらしいが、まあ平和的の範疇といえるだろう。
前回のように空港閉鎖に繋がらなかったのは良かった。

選挙で決まった結果に対し、自分達の利益のために、過激ではないにしろ多くの人に損害、迷惑を与える行為を行うことは、立派な犯罪であり、穏やかなテロ活動とも言える。そんなことがまかり通るタイと言う国は一体何なのだろうと思っていたが、日本の状況を振り返ってみて考えた。

政治が迷走しようが、政治家が汚職しようと、ただただ見守るだけの日本人。内閣支持率低下、そして選挙で意志表明はするのだが、ちょっとおとなしすぎるのかも知れない。

デモを行うには、首謀者と豊富な資金が必要なので、そう簡単に大規模なデモを組織することはできないが、自分達の仕事を止めてでもデモで自己主張するタイ人はある意味、尊敬に値すると思う。

政権がクーデターで交代することも普通なタイの価値観は、日本人とはだいぶ違うが、彼らは彼らで一生懸命国づくりに取り組んでいると言えない事もない。選挙だけが国を変える方法ではないことを彼らは教えてくれる

タイマッサージスクールガイド

新タイマッサージスクールガイドをオープンした。

私が始めてタイマッサージを習ったのが2002年のこと。そのときの感動を多くの人に経験してほしいと思って立ち上げたのが、最初のタイマッサージスクールガイド。私のタイマッサージ活動の原点だ。

それから既に8年の歳月が流れた。あっという間だ。最初に習った先生は今でも元気だが、先生も私も8歳、歳をとった。ピシットスクールを初めて訪れたときからも6年経った。ピシット先生は今76歳、69歳が76歳になったというは大きな変化だ。一昨日もお会いしたが、この数年でちょっと老けたかなと思う。まだまだご健在でいてほしいし、これからも多くのことを教わりたいと思う。

そして、タイのスクール事情もずいぶん変わった。日本人向けの学校、日本人が経営するタイのスクールがずいぶん増えた。当時は、日本人が行く学校はロイクロやワットポースクンビット校、そしてプッサーパーと決まっていたが、今は江幡さんのコランマッサージスクールやチェンマイのタノム先生のチェンマイクラシックアートに人気が移っているようだ。安いだけでなく、先生の技術や人柄が人気の理由だろう。

そこで、スクールガイドもリニューアルすることにした。当時と違って今は、WEBサイトの作り方も違う。google mapのタイ版も始まったことだし、タイのスクールをすべて地図にマッピングしたら面白い。そう、日本のスクールもすべて一覧にしてみようか、思いつく色々なアイデアが実現できる。

そんな最新の技術を使いながら、少しずつ見やすく、使いやすく完成させていきたいと思う。

楽になったでしょ

神秘的な施術を含め、様々な手技療法の後に発せられる一言。

「楽になったでしょ」

これを言われると、「いや、全然変わらないです」とは言いにくい。そんなことを言ったら険悪な雰囲気になってしまう。自分のために頑張ってくれた人にはありがとうと言いたい。だから、「本当!楽になりました」と言わざるを得ない。それは言いたくないわけではなく、懐疑的な気持ちを抑えながら、”そう、確かに楽になっている”と自分に言い聞かせながら、楽になったことを本当に確認しようとしながら、何となく楽になったかもしれない、だから、嘘を言っているわけではない、たぶん本当に楽になったのだろう、だったら、楽になりました!と言うのが正しいことだ。

といった思考が働いている。一種のホメオスタシス同調である。日本人は特に相手に合わせる傾向が強いので、相手の言うことが正しいとという方向に本能的に自分の思考も同調させようとする。

別の言い方をすれば、洗脳の初期段階でもある。催眠術やディベートでもよく使われる手法だが、いくつか相手が否定しようがない事実を並べた直後に、事実かどうかわからないことを言い放つとそれも事実に聞こえる。そういうテクニックを駆使しながら、自分が話すことはすべて正しいと相手の無意識レベルにインプットする。カルト教団で洗脳されている人はすべてこのプロセスを経て、教祖が言うことは何でも正しいと肉体レベルで信じ込んでいる。

マッサージのような施術でも、これはよく使われる。空間を支配している人物(教祖)が複数の従者から素晴らしいと崇められている状況に入ってしまった患者は、自分の感覚よりも教祖が言うことの方が正しいと心から思ってしまうだろう。体が柔らかくなったとか痛みがなくなったというのは、測定不能な、感覚的な、心理的なことなので、実際には強烈に痛くても、痛くないという催眠術をかけられれば痛くないのだ。首が以前より回るようになったかどうかも、以前より頑張って回せば回るものなのだ。

ただ、言葉による誘導が悪いことかというと、そうも言い切れないような気もする。それで、患者さんの苦痛が軽減され、快適な日常に戻れるならそれでいいではないか、そう思うのだ。

言葉による誘導はヨガの先生も多用する。ヨガというのはもともと宗教的な瞑想が起源なのでグルによる催眠誘導のようなことは普通に行われてきたし、金色に輝く世界を体験できるなら、それでいいとされている。
昨今、数人のカリスマ的なヨガの先生が人気を集めているが、空間支配や視線の使い方、言葉をかけるタイミング、声のトーン、本人が催眠誘導のテクニックと意識しているかどうかは別として、確実にそういう技術を使っていると思う。生徒さんは「とにかく先生が素敵」「声に癒される」そういう反応をする。

私自身は、ピシット先生の施術は言葉など使わなくても十分な効果があると考えているが、言葉を使うテクニックを使うべきかどうかは今後の課題である。

藤沢珍百景

近所を散歩していたら信じられないものを見てしまった。

タイマッサージと全く関係ない話で恐縮だが、とても驚いたので報告する。

忙しいのに「散歩」している私も我ながら奇妙だと思うが、犬の散歩をしている人はたくさんいる。

ところが私が見たのは、「猫」の散歩だった・・・

長年生きてきたが、こんなものは初めて見た。猫が犬のように首輪をして、首輪についた紐を飼い主が持っていて、普通に道をテクテク歩いているのだ。
私が写真を撮ったときは、たまたま近所の人と立ち話をしていたのだが(その近所の人も全く違和感を感じていないようだった)、そのとき猫は犬のようにおとなしく飼い主の話が終わるのを待っていた。

誰も珍しがることなく、近くの公園で子供が遊び、そしておばちゃんが猫に紐をつけて散歩している・・・

強烈な違和感だ。なんだかシュールだ。。。

猫の定義にかかわる問題だと思った。

本場のタイマッサージは痛い?

タイマッサージサロンによく行く人が言うことに、

「タイ人は強く、痛いくらいにやる」

ということがある。日本にあるタイマッサージサロンは、日本人セラピストがメインなところとタイ人セラピストがメインのところがあるが、日本人にやってもらうときは寝てしまう、タイ人にしてもらうときは痛くて寝るどころではない、らしい。

タイマッサージはタイが本場だから、タイ人がやる痛いタイマッサージが本物のタイマッサージなのか? そういう疑問がある。

では、タイで受けたらどうかというと、やはり、痛い人と、気持ちがいい人がいる。痛い人は大きく分けて、技術または性格が雑なために痛い人と、的確なポイントを強烈に押す人の2種類がある。

前者は論外として、後者の痛いマッサージこそが本物のタイマッサージなのか?

このことについて、ピシット先生に聞いてみたことがある。その答は明快だった。

「同じポイントでも、治療を目的としたときは押し方を変えて、強く押す。リラクゼーションを目的とした場合は、意図的に痛さを感じさせない程度に押す。」

タイマッサージは大きく分けて、全身のエネルギーラインを整えるリラクゼーションマッサージと、膝や腰、肩や指のような特定の場所が痛かったり動かなかったりする場合に行う治療マッサージがある。治療マッサージは悲鳴が上がる程痛い。しかし、これを健康な人が受けてもストレスになるだけで大した意味はない。健康な人に対しては「痛くない」リラクゼーションマッサージをすべきである。というのがピシット先生の説明だった。

タイ厚生省が主催する400時間や800時間のセミナーには当然、治療マッサージのやり方も含まれる。セミナーを直接受講した人はどういう時に強押しをやるべきかよく理解しているはずだが、それがお店で新人セラピストに二次的、三次的に伝えられる過程で、「痛いくらいにやらないとだめ」ということが間違った形で伝わってしまっているのではないかと思われる。

痛いくらいに押すのは、特定の関節の痛みを軽減するという明確な目的の下、的確な施術ポイントを正しい押し方で押す場合に留めておくべきであろう

事業仕分けと経済

テレビで連日、事業仕分けの模様が放送されている。それを見て、無駄な事業を廃止させる仕分け人はすごいという印象を持っている人も多いかと思う。

しかし、それは間違いだ。なぜかと言うと、事業や提案を否定するのは簡単だからだ。未来のことは誰もわからない。わからないから証拠がない。提案の欠点を探し、うまくいく証拠がないからだめだというロジックは誰にでもわかりやすい。

確かに、無駄な出費を抑えることは大事だろう。しかし、問題なのは、では未来のためにどういう事業をするべきか、それを提案すること、そしてそれを勇気を持って採用することだ。

否定することに対し、提案することは実に難しい。比類なき創造力と計画力、そして実行力がなければできない。しかも、否定派と戦いながら突き進む折衝力、粘り強さも必要だ。結果的にうまく行かない可能性も高い。その場合は全責任を取って切腹(辞任)しなければならない。一生懸命頑張ってきたのに世間から冷たい目で見られることになるリスクが極めて高い。通常の感覚ならそんなことは馬鹿馬鹿しいと思って当然だ。

以前勤めていた、日本を代表する大企業で面白いことが言われていた。

「何もしない人が出世する」

なぜなら、何かをしたら失敗する可能性もある(その可能性のほうが高い)。だから、何もしないで、人が立ち上げたプロジェクトを否定しまくる。そのプロジェクトがうまく行かなければ、「私はだめだと思っていた」と言う。うまく行けば、「私がアドバイスしたからうまくいった」と言う。どちらにしても、手柄のようになる。そういう人が出世するというのだ。それは、事実だった。

会社経営でも、政策でも、何を止めるかということより、何をするかということの方がずっと重要である。ずいぶん前に、テレビで、何でも節約して一ヶ月の生活費を極限まで切り詰める家族が素晴らしいことのように放送していたが、私はそれを見て、節約する時間があったら自分の能力(給料)を高める勉強をしたり、金になる仕事をした方がずっと生活が豊かになるのに、と思った。

政府も、けちけちするのはこのくらいにして、日本が世界に先駆けて経済復興を遂げるような、勇気ある挑戦を打ち出してほしいものである。でないと、本当に日本経済はどんどん縮小して、どうでもいい国の一つになってしまうような気がする

足を使うということ

タイマッサージには足を使う手技(足技と言うべきか?)が多数ある。
その理由は二つ。

第一に、手や腕では圧が足りないので足で全体重を乗せる、あるいは脚の筋力で強力に圧をかける必要がある場合。例えばハムストリングの加圧には足を使うことが一般的だ。

第二に、施術者自身が楽であること。足で踏むなら、指にも手首にも負担がかからず、立った姿勢で行えば腰にも負担はかからない。

主に第二の理由をかかげ、足を多用する手技が(日本で)目立ってきているように思える。

ところが、タイでは足を使うのは主に下半身に限られる。足で腕や首周りも蹴ったり踏んだりして解す手技を教える有名な先生がチェンマイにいるが、その先生の生徒以外のタイのセラピストがそのような手技を実際に顧客に対して行っているのを見た事がない(されたこともない)。確かに、足を使っても手で行うのと同様に効果的であったり、手でやるよりも効果的な場合があることは認めるが、足を使うことは大変失礼なことと認知されていることもまた事実である。

タイにおけるタイマッサージは王室に近いほど手、指で行う手技がメインになる。高貴な人に対して足を使うことなどもってのほかだからだ。
だから、お金を支払ってくれる顧客に対しても同様に上半身に対して足や膝を使うことはない。実際にされてみればわかるが頬の横に足があるのは気分のいいものではない。自分が楽に行うために相手に不快な思いをさせるのは本末転倒というものだ。

上半身の筋肉は手や腕でも十分な圧がかけられる。相手を思いやる、相手を尊重する気持ちがあれば、足で肩や腕を踏むようなことはできないと思っているのは私や一般的なタイ人だけのなのだろうか・・・

フィードバック

当スクールのコースは大きく、「タイマッサージの基礎」と「40種類のストレッチ」に分かれている。基礎は指圧・手掌圧、ストレッチは足や体を使ったストレッチである。

初めて習う方は、ストレッチのポジションや体の使い方が覚え難く、基礎より難しいと感じるようだ。確かに、基礎はほとんど同じ動きでセンを辿っていくだけなので自分の動き自体は単純だ。

しかし、本当に難しく、奥が深いのは指圧・手掌圧である。

ストレッチの方は、ポイントを理解して覚えてしまえば、誰がやってもそれほど差が出るものではない。しかし、指圧は違う。センス、学習期間、そして本人の意識の持ち方で劇的に違う。そして、最後までその人の性格がリアルに指に現われる。性格が出るというのは個性という意味ではいいのだが、がさつな思いやりのない性格が出る場合は、これはほぼ直しようがない。タイでも何人かのそういう方に会ったことがあるが、その人を教えている先生になぜ直してあげないのか聞いても、「何度も教えているが聞く耳を持たない」ということで、お手上げらしい。

そういう経験を踏まえ、指圧の難しさとは何だろうと考えたとき、それはフィードバックということかもしれないと思った。昔、機械工学でフィードバック制御という技術があった。何か、例えばエンジンでガソリンを燃やす量を最適にすることを考えたとき、その値は常に一定ではない。そのときの外気温やガソリンのオクタン価、エンジンオイルの汚れ等々、諸条件は常に異なるので、そのときの状況に応じて値を決めなければならない。そのときに用いられる手段がエンジン内の温度や出力されるトルク等の値をモニタリングして、その値に応じてガソリン量を多くしたり少なくしたりする仕組みである。これがフィードバック制御だ。

考えてみれば人の体も個人差があり、日によって、時間によって状態は異なる。このため「ここはこのくらいの強さで押す」ということは一意的には決まらない。だから、教えられることには限界がある。

では何を頼りに圧が決まるかというと、それは掌、そして指から感じられる相手の体の声である。このセンシングという考え方はチェンマイのピシェット師が最重要視していることの一つで、私はその考え方を聞いた時に「どのくらいの強さで押せばいいのか」という質問に対する答えだと素直に思った。

相手の声を感じ、それに合わせて圧とその時間を微妙にコントロールする、そういうフィードバック制御の完成度が指圧の奥深さである。わかったつもりの勘違いが一番恐ろしいことで、常に謙虚な、そして先入観のない澄み切った心で相手の声を聞く心構えを磨いていくことが指圧を極めていくこととなる。

それは、通常の、人との会話、人間関係と同じことで、人に好かれる人、人といい関係、いい会話を築ける人の指圧は最初からレベルが高い。逆に空気を読めない人はタイマッサージに向いていないとも言える。「あなたのタイマッサージがだめなのは空気が読めない性格が原因だ」とはとても言えたものではないが・・・