マッサージの資格問題(3)

そもそも、按摩マッサージ指圧という手技がなぜ国家資格になったのか。国家資格になったのは昭和22年のことである。それ以前にも多くの手技療法があった。カイロもあったし、ヨーロッパ、中国、インドなどから伝わったマッサージやアーユルベーダ、漢方の按摩もあった。多くの手技療法が乱立し、中には事故を起こすものもあったという時代背景に国民の健康を守るため、国民を詐欺から守るため、国家資格化して管理しようというのは自然な流れだったと思われる。

このような雰囲気の中でルーツが日本で、安全性も問題がないレベルで、内容も優れている(と考えられた)手技を中心に体系化がなされ資格化がなされたのだが、そこで置いていかれたのが他の手技療法の人々である。後から自分たちの手技も資格化しようと頑張っても、ダブルスタンダードとなる類似資格を認めるわけにもいかず今日に至ったわけである。視覚障害者の就労保護という位置づけもされたため、無資格者に対して過激な発言をするものも少なくない。

しかしながら、職業選択の自由という憲法レベルの原則があり、多くの人がリラクゼーションを楽しみ、市場規模が大きな産業として社会的にも認知されている現在、資格についてあれこれ議論すること自体がナンセンスになっている。

失業者が問題になっている今、雇用を生み出している産業はとにかく政府にとってありがたい存在である。この業界は、無資格ゆえに安全には有資格者以上に気を使い、健全な営業を行ってきた。今後も、各流派が切磋琢磨し、互いに学びあい、技術を高め、多くの人を幸せにする産業として育っていくことが、顧客、政府、事業者すべてにとって望ましいことだと思う。

マッサージの資格問題(2)

日本には按摩マッサージ指圧という国家資格がある。3年間、多額の費用をかけて専門学校に通って初めて取得できる資格だ。

では、按摩マッサージ指圧の国家資格なしに「マッサージ」の看板を掲げて営業することは無資格営業という犯罪になるか?

なるケースとならないケースがある。なるケースには二種類あり、ひとつは、顧客に対して按摩マッサージ指圧の有資格者であると誤認させている場合、もう一つは治療効果をうたう場合である。治療効果というのがまた微妙で、「体が軽くなります」とか「肩こりの方にお勧め」ぐらいならセーフ、「腰痛を治します」「肩こりを治療します」ならアウトという感じか。

ここで重要なのは、「マッサージ」という言葉を使っているかどうかを見られるのではなく、実情や顧客からの訴えが判断の元になるという点である。私も厚生労働省や保健所に確認したことがあるが、「タイマッサージ」という言葉を使うことは特に問題ではない。リフレクソロジーやクイックマッサージ、そしてスパのようなリラクゼーション施設は多くの方のニーズがあり、取り締まることは国民の利益にならない。多種多様なマッサージが市民権を得ている現在、単に言葉だけの取り締まりは何の意味もないという話である。「タイマッサージ」だと逮捕されそうなので「ヌアボーラン」の看板で営業しようというのは必要のない心配なのだ。

あまり知られていないことだが、カイロプラクティスや整体といった如何にも資格があるような、如何にも医療行為のような業態は、国家資格とは何の関係もない。タイマッサージやクイックマッサージを取り締まるなら、(ほとんど治療行為を行っている)こちらも取り締まる必要が出てくる。しかし、それをしないのは、その商売も多くの方を幸せにし、喜んで利用されているからであり、深刻な問題も発生していないからであり、何より、雇用を生み出し、税収に繋がる一つの産業だからである。取り締まることで発生するマイナス要素のほうがプラス要素より遥かに大きい。

では、そもそも按摩マッサージ指圧という国家資格は何なのか? それだけが国家資格にふさわしい歴史と効果と安全性を持っている手技療法なのか?
実はそうとも限らないのが、この曖昧な現状を黙認せざるを得ないところでもあるのだ。次回はその辺りについて言及する。

マッサージの資格問題(1)

「マッサージ」という言葉を使うことについて、神経質な人がいる。

マッサージは国家資格の按摩マッサージ指圧師免許を持っていないと行ってはならない、行うだけでなく、業においてその言葉を使用することも許されない、という主張である。

実際にはどうか。

国の政策として考える最優先事項は国民の保護である。言い換えれば消費者の保護である。すべての政策は(選挙権を持つ多数派である)消費者のために実施される。マッサージについてもそうだ。大事なのは(票田である多数の)消費者であり、(大した票にならない少数の)事業者ではない。

国家資格保有者である(少数の)有資格者の主張と、より良いマッサージを求める(多数の)消費者のニーズと、どちらを国家(=政権=与党=代議員)を取るか、考えるまでもない。

こういう需給の背景とは別に、歴史的な背景もある。そもそも按摩マッサージ指圧の国家資格はどういう成り立ちなのか、他の代替療法と比べてそれほど由緒あるものなのか?

そんなこんなで、サロンやスクールを営む上で、そういうことについて何を考えなければならないのか書いていこうと思う。

続く

冬の静電気

冬、空気が乾燥しているときにタイマッサージの練習をしていると静電気のショックを受けることがある。ある特定の人に触ったときにそれは起こる。

その人によると「私は静電気が溜まり易いようで、冬は静電気バチバチで痛くて大変」とのこと。

私も10年程前は車に乗るたびに静電気ショックに見舞われていたものだが最近は全くなくなった。

体質や年齢によるものなのだろうか?

答えはもちろん否である。先日の解体新ショーでやっていたが、静電気が起こるかどうかは純粋に着ている服の材質で決まるらしい。服と服、あるいは服とソファが擦れ合って静電気が溜まるのだが、その材質の組み合わせでその量は決まる。綿は発生しにくく、ポリエステルは発生しやすい。好んで着る服の材質で決まるわけだ。

以前私が乗っていた車のシートは静電気が溜まりやすいものだったのだろう。そして、ドアノブが無塗装の金属だったので導電性も高かった。

綿の服を着れば静電気は起こりにくいのだが、いつも綿というわけにはいかない。どうしてもバチッとなってしまうときにはどうしたらいいか?

この答えは確か、かなり前に「試してガッテン」でやっていた。金属にすぐに触らずに、木などの導電性の低いものに触って静電気を逃がしてから金属を触ると大丈夫らしい。今回の解体新ショーでは、手の表面に静電気ショックが広がらないように、キーを介して金属に触るのがいいと言っていた。

我慢するしかないと思っていたことも、解決法はあるものだ。

ポスティング(5)

店舗から徒歩5分圏内のポスティングを行う場合、一万枚前後のちらしを配ることになる。一日6時間で1000枚配ったとしても10日間もかかる過酷な仕事だ。住人から冷たい言葉を浴びることもあり、精神的にも楽しいものではない。

しかし、ポスティングは自分でやることには大きな意味がある。業者に依頼するのは楽だが費用がかかる上に、本当に全世帯に配っているのか非常に疑わしい。自分でやれば確実に全世帯に配れる。そして、運動になる。ウォーキングというのは非常に優れた運動なので多くの人がやっているが、それを実益を兼ねてやっていると思えばいい。

そして、もっとも大きな意味は、地域を知ることができる点だ。隅々まで歩き回るので住所番地毎にどんな家があるか、どんな町並みか、どんな人が住んでいるのか知ることができる。その地域にどんな店があるのかもすべて自分の目で確認できる。その上で、顧客の住所データと照合すれば、どこからどんな人が来ているのかリアルにイメージできる。そのイメージができれば戦略も立てやすい。

店の電話を受けるときに、道を聞かれることが多いが、地域の道やランドマークをポスティングで把握していれば大体どんな状況でもきちんと説明できる。地域に出店するならば地域を知ることは非常に重要で、ポスティングにはチラシをまくだけでなく、そういう意味が含まれているのだ。

ポスティング(4)

月末に入会者が多いのは、月末だからではなかった。キャンペーンがその月の月末までだったからだ。その証拠に、キャンペーンが数ヶ月にまたがる時や、キャンペーンがない月の月末は特に入会者が増えない。

あまり深く考えずにキャンペーンをしていたが、チラシやWEBサイトを見ている方はそういうことをしっかりチェックしているのだと改めて思った。

そのため、ポスティングの効果を上げようと思ったら、キャンペーンの日の設定は慎重に行う必要がある。一度、ちらし印刷のコスト削減のため、3ヶ月有効のクーポンをつけたチラシを配ったことがあるが、効果がなかった。3ヶ月先では長すぎるのだ。1ヶ月先くらいに期限を区切ったキャンペーンの告知をチラシで行う、これが基本である。

「いい商品、いいサービスを提供すれば、お客様が来てくれる」というのが私の信念で、姑息なキャンペーンや割引という手法は好きではないのだが、商品のレベルが上がってどこの店も同じであれば、そういうお得感こそが差別化要素になる。そこに消費の喜びがある、それでお客様が幸せになれるなら、そういう手法はむしろ積極的に使う方がいいと考えるようになった。

もちろん長期的には、真に良心的な商品こそが生き残ると信じているが、短期的にはまず存在を知ってもらうこと、利用するきっかけを提供することが大事なのだ。

タイマッサージ師列伝(4) 卵マッサージ

タイの田舎には様々なマッサージが伝わっている。時々、「タイマッサージは何種類あるのですか?」と聞かれるが、タイマッサージは、中国漢方や日本のマッサージ指圧のように統一・体系化されているわけではなく(タイ厚生省が取り組んでいるがまだ途中)、古くから伝わるスタイルもまだ生き残っている。そういう土着のマッサージと王室・仏教寺院系のマッサージすべてがタイマッサージであり、更にそれらをミックスした形のスタイルを各学校が独自に教えているのが今日のタイマッサージの状況である。

そんな中で、珍しいものを見たことがある。卵を使ったマッサージだ。このマッサージ師の名前は聞き忘れたが、面白いので掲載する。

卵でマッサージするわけではない。このおじさん、いやマッサージ師は卵を手のひらに持ち、患者の体のあちこちに当てていく。患者の体の悪いところにくると卵が反応してそこが悪いことがわかるのだという。わかったら、後は普通にそこをマッサージする。

ダウジングを思い出した。ダウジングというのは、ヨーロッパに伝わる不思議な技術である。ほとんど超能力に近いのだが、L字に曲がった二本の棒を持って地面の上を歩き回ると、水脈や金属のある場所の上でなぜか二本の棒が反応して、閉じていた棒が勝手に動いて開くのだという。これはこっくりさんのような心理的なものではなく、電磁波の人体に対する作用というような根拠があるされる。

卵もダウジングの一種と考えれば、この手法も理解できなくはない。しかし、なぜ卵なのか、その選択がいかにもタイらしくて微笑ましい。

面白いのは、このおじさん、単なるマッサージ師ではなく、卵占いのようなこともすることである。水晶占いのようなもので、相手の手のひらの上に卵をかざすと、卵から色々な情報が得られるのだと言う。その話術がこのおじさんの真骨頂なので、マッサージ師というより占い師と言えるかもしれない。この写真はその様子を撮影したものである。おじさんの話を聞いている二人の表情が非常に面白い。

日本でもタイマッサージサロンではカウンセリングやお客様とのお話が非常に大事とされるが、このおじさんは卵というツールを使ってカウンセリングをしているわけだ。マッサージと占いの合体、まだ日本ではこういう業態は見たことがないが、これは日本でも大ブレイクするかもしれない。

この他にも、まだまだ私の知らないタイマッサージが存在しているような気がする。卵マッサージは習えば私にもできるのか? 今度聞いてみよう。

タイマッサージ師列伝(3) ジャン・シャーイ

トークセンというタイマッサージの流派がある。トークセンとは、木槌でセンを叩いて行く手法で、その姿はあたかも鑿(のみ)で彫刻をしているようである。

ジャン・シャーイ師(女性)はチェンマイ近郊の村に住むトークセンの使い手で、その筋ではかなり有名らしい。私も機会あって、実際に受けてみたことがある。

施術は木槌だけではなく、一般的な手掌圧や母指圧も使う。そうして、体の状態を手で確認した後に、先が丸くなった棒をツボに当てて木槌で叩く。好きな人はたまらないという話なのだが、骨にビンビン衝撃が伝わってきて正直驚いた。骨を叩いているわけではないのだが、カンカン叩くので結構強い刺激である。その感じはフットマッサージで使うスティックとは全く違う。棒を押し当てているのではなく、木槌で叩いているのだ。コリを砕いているという感じに近い(正確には、痛み刺激を受けた脳が反射として筋肉を弛緩させるのだと思う)。

恐らく、私の体がそれほど凝っているわけではなく、トークセンを必要としていなかったのだろう。カチカチに凝っている人のコリを解す(粉砕する?)にはいいのかも知れない。

タイでトークセンをやっている店を探すのは至難の業である。つまり、私と同じような感想を持つ人が多いのだろう。そのため、メジャーにはならないが、非常に面白い手技なので、後継者を育て、その技をしっかり後世に伝えて欲しいものである。

タイマッサージ師列伝(2) ピシェット

チェンマイのピシェットと言えば、タイマッサージをタイで学んだものなら一度は聞いたことがあるだろう。タイマッサージやアーユルヴェーダの神秘的なイメージを最も体現している伝説的なマッサージ師である(バンコクの著名なマッサージの先生ピシット氏とは別人)。

アメリカやヨーロッパの白人はビートルズの時代から、東洋の神秘性に魅了されてきた。それはヨガであったり、インド音楽の旋律だったりする。今、日本で大変な問題になっている大麻もアジアでは瞑想の道具だといった誤解(理解?)も加わり、悟りを求める白人のアジア巡礼は今でも盛んだ。

ピシェット師はそういう白人に圧倒的に支持されている。

もともとはオールドメディソンホスピタルの講師だったので、シントーン氏のチェンマイスタイルの使い手であった。しかし、オールドメディソンホスピタルを退職後は、チェンマイスタイルではない、独特の施術を行うようになった。私がこの目で見たわけではないので断言はできないが、多くの写真を見る限り、チェンマイかその周辺の伝統的なマッサージを先祖から受け継いできた長老(タイ厚生省のセミナーで紹介されていた。既に亡くなっている)かその弟子の手技を学んだと思われる。

田舎に伝わるタイマッサージは足や体を使ってアクロバティックな施術を行うが(その主な目的は施術者の負担を減らすこと)、その特徴が最大限に出た施術がピシェット師の特徴である。

ピシェット師は、「一度、今まで学んだやり方をすべて捨てなさい。白紙に戻って、患者と向き合いなさい」と説く。つまり、チェンマイスタイルを捨てろと言うことだ。

ピシェット師のアシュラム、いや教室は、大きな仏壇が設置されていて、仏教色満開の中で授業が行われる。マッサージの手技と言うより、密教の修行のような授業で、カリキュラムや時間割はあってないようなもの。ピシェット師の気分が乗らなければ生徒を全く相手にしない。機嫌がいい時だけ施術を見せるのだと言う。

そんな神秘性で多くの生徒を集めている。写真では若く見えるが結構な年齢らしい。生きているうちに、一度は見ておきたいマッサージ師である。

※写真は空中浮揚ではなく、指を鍛えるために両手で体を持ち上げているところ。指だけで全身が持ち上がってしまっているのが凄まじい。

日本のタイマッサージスクールの手技

先日、渋谷にある、某協会のスクールでワットポースタイルを学ばれている方がご入会された。学んでいるワットポースタイルの施術を見せてもらったのだが少し驚いた。私がタイのワットポーで学んだワットポースタイルには見えないのである。手技の一つ一つで押しているライン、そして手技の順番構成を個別に見ると確かにワットポーのベーシック・マッサージなのだが、全体を支配している空気、リズム、雰囲気が違う。このため、印象が大きく違う感じになっている。

いったい何が違うのか。詳細に観察してみた。そして今度は私が直接受けてみた。

するとあることに気が付いた。ラインや指圧ポイントはワットポーで教えているのと同じだが、押し方が微妙に違う。指を下からしゃくり上げるような、下からえぐるような微妙な動きが加わっている。その動きがどこから来るかというと、体の使い方である。体重をかけて指圧を加えるときに上半身が舟を漕ぐようなリズムで前後する。その動きが指に伝わって、まっすぐ押しているのだが微妙に前方にスライドしているのだ。

この動きは日本の整体や按摩マッサージ指圧師のやり方である。その他、指圧を始める腕を持ち上げるときなどに腕をぶるぶるぶると振って力を抜かせるテクニックもタイでは見たことがない。座位で頭の後ろに組んだ相手の腕に両手を差し入れて背骨を左右に回転させる技ではタイでは相手は下を向いた状態で終わるが、ここのやり方では相手の体や顔が完全に上を向くほどひっくり返し、お臍が見える状態で後方まで捻る。

全体的にいわゆるプロっぽい動きで、術師という感じが色濃く出た体の使い方である。タイで行われるタイマッサージは、何となく厳かな、静かな、謙虚な、愚直な雰囲気を持っているが、そういう感じではない。

恐らく、この学校の先生はタイマッサージを学ぶ前に多分、それとは異なる手技療法を学んだに違いない。最初に体で覚えた身のこなしがタイマッサージに大きな影響を与えていると考えられる。この学校の先生はその方が効果が高いという信念で教えているのだと思うが、いい悪いの問題ではなく、ワットポースタイルという講座をかなり雰囲気の違うものにしてしまっていることがどうなのか、複雑な気持ちになった。