カオマンガイ

タイに行くときはタイ料理が楽しみだ。タイに着いたらあれも食べよう、これも食べようと妄想は膨らむ。うまそうなタイ料理は市場やフードコートにある。ちゃんとしたお店でメニューを見て頼んでもいいのだが、それだとどんな料理が出てくるのかわからない。市場やフードコートなら写真も豊富だし、周囲を見渡すとみんなが食べているものを確認できるので、視覚的に、そして嗅覚的に自分のイメージ通りのものが注文できる、しかも安い。唯一の欠点は、ビールを飲んでいる人がほとんどいないこと、一人だけ飲んでいるのは何となく抵抗があるものだ。そんなときは汁ものだろうが麺だろうがテイクアウエイすればいい。ホテルに持ち帰り、ビールと一緒にゆっくり食べる。だからタイに行くときは、軽いプラスチックの食器と洗剤スポンジを持参すると便利だ。

市場で買ってきたソムタム(あまりうまいと思わないのだが・・)、カノムクロック、センレックナーム、惣菜飯を並べてご機嫌に食べた。うまい! と思うのは最初の1日、2日くらいだ。一週間くらいすると市場のにおいだけで食欲がなくなってくる。お腹も調子が悪い。あっさりしたものが食べたくなる。屋台の麺類はあっさりしているようで実は油が結構ぎとぎとだ。富士とか大戸屋とかの日本料理屋でもいいのだが、タイ料理のカテゴリーの中で食べられそうなものを探していると、不思議な料理を見つけた。卵焼きご飯とスープのセットだ。だいたいどのフードコートにもあると思う。卵焼きご飯というのは、ご飯の上に平べったい卵焼きが乗っかったもので、たれがかかっていない天津飯のようなものだ。スープは定番は白菜と豆腐と豚のつくね(肉団子)を澄まし汁で煮たものだがいくつか種類があり選べる。野菜スープのようで食べやすい。この料理があっさりしてて実にうまい。毎日でも食べられそうだが、よく考えると、ワンタンスープに白菜と豆腐を入れればできるし卵焼きもご飯も普通なので自分の家でも同じようなものは簡単に再現できる。わざわざタイまで来て食うようなものではない。しかし、タイに一週間もいるとタイで一番うまい食べ物になるから不思議だ。この料理が昔からあったのか、最近の定番なのかは謎だが、バンコクならどこにでもあるようだ。

カオマンガイという料理がある。タイ人だけでなく日本人にも大人気で、タイ飯の中でももっとも日本人受けする食べ物であり、日本でチェーン店を開いたら必ずヒットする、と私はずっと思ってきた。数年前に、渋谷に実際にお店ができたのだが、果たしてヒットしているのだろうか? カオマンガイも汁なし天津飯と同じで、タイ料理の濃い味と匂いに参った段階で初めてうまいと思える食べ物なのではないだろうか。消去法的に選ばれるだけの食べ物ではないだろうか。バンコクでシンガポールのやつとか、ピンクのカオマンガイとかいろいろ食べてみたが、確かに食べやすいが、日本でいえば鶏釜飯と大して変わらないし、名店の鶏釜飯の方がうまいと思う。要はタイにいて、タイの中でもっともあっさりしていてご飯がしっとりしていて、味覚も日本人に合うのがカオマンガイなのではないかと思うようになった。ピンクのカオマンガイはなぜか大盛がなくなり、普通40バーツはとても小さかった。もう一つ食べるのも芸がないので、近くのモールの8番ラーメンで冷やし中華と(日本風)炒飯を食べた。とてもうまかった。さっき食べたカオマンガイよりうまかった。ついでに言うと、タイで食べるSUBWAYやマクドナルドはとてもうまい。日本ではほぼ食べないが、タイだからそういうものを食べたくなる。

私の理論が正しければ、カオマンガイは日本では成功しないと思う。渋谷の店はどうなるだろうか

世界で一番気持ちいいマッサージを探して(3)

ひょっとして私の感性がおかしいのではないだろうか? ありもしない、架空の理想のタイマッサージを追い求めているだけなのではないだろうか? 他のお客さんは皆気持ちよさそうにしているし、満足げに帰っていく。リピーターの人も多いようだ。そういえば、昔からタイマッサージはこんな感じだったのかもしれない・・・

そう思いかけることもあるが、私の師であるピシット先生のタイマッサージやシンチャイ先生を思い出すと、いや、そうではない、先生がああなのだから、あれが本当のタイマッサージだと思い直すことになる。

タイマッサージではなくフットマッサージをやってもられば当たり外れはほとんどない。習ってみればわかるが、誰がやっても同じ感じになるような技術で構成されている。難しくないのだ。一方、タイマッサージは姿勢やポジション取り、指圧の方法に個人差が出やすいので難しい。

そこで初心に戻り、チャオプラヤ川沿いの、ワットポーの中にある施術所に行ってみた。昔はマッサージを受けるのに入場料を払った記憶はないが、入口に案内されそこで100バーツの観光チケットを買って中に入った。後でわかったのだが、ワットポーマッサージスクール(チトワン通り)から別の寺を抜けてワットポーに入る裏口からだと(関係者用の出入り口?)お金を払わなくても入れる。しかしまあ100バーツなので賽銭だと思って払えばいいかと思う。
ワットポー境内の施術所は今やエアコンが効いた快適な空間である。大繁盛しているのでまだ人が少ない午前中がお勧めだ。午後になると待ち時間が一時間以上になると思う。ここで、とりあえず一時間420バーツのマッサージを受けたのだが、これが感動するくらい大当たりだった。求めているものはここにあった。足先に触れた最初の数タッチで、体の深部へ響いてくるような重量感。打ち寄せる波のような心地いいゆったりとしたリズム。これこそが世界で一番気持ちいいマッサージだ。すぐに施術時間を2時間に変更してもらいタイマッサージを堪能した。そのセラピストはワットポーの標準シーケンスだけでなくエルボーを使った施術やセンを弾く施術など技のバリエーションもあった。隣を見てもそういう技を使っているので、どこで習ったか聞いたら、ここで習っただけだという。今ではワットポーもエルボーテクニックなど色々な教育をしているのだろう。しかしながら、一押し一押しが確実にセンを捉え、思った通りの、期待通りの施術をしてくれるのは素晴らしい。結論としては、タイのお勧めサロンはワットポーの一択である。
余りにも良かったので、翌日また行って、同じセラピストを指名した。だんだん調子に乗ってきて、後半はかなり痛い感じになってしまったが、優秀なセラピストにありがちな現象である。嫌な痛さではなくトリガーポイントをしっかり解す痛さである。痛いのが好きな人にはたまらないが、痛いのが好きでない人は、痛くなくして(タムバオボオ、マイチェップ)と言って暴走を止めるのがいいだろう。自分好みに強さにチューニングしたら、後は至福の時間が待っている。

ただ、ワットポーに行った他の方は「私にとってはいまいちだった」と言っていたので当たりはずれはあるのだろう。ここまで読んでいただいた方には外れの経験をしてほしくないので、私が感動した当たりのセラピストの名前をこっそり教える。そのセラピストの名前はソンポーン(写真の人)、ワットポーを訪れる際は是非指名することをお勧めする

世界で一番気持ちいいマッサージを探して(2)

これから書くことは特定のサロンの悪口と受け取られても仕方がないのだが、まず、ここで取り上げているサロンはタイでも屈指の人気サロンであり、人気と名声があるからこそ辛口になってしまうということを理解していただければと思う。実際、名もないサロンと比べれば平均レベルは遥かに高く、相対的にはお勧めサロンであることは間違いない。また、それらのサロンには数十人のセラピストが所属しているが全員だめなわけはなく、一定人数は非常にレベルが高く素晴らしい施術ができるに違いないが、今回は、そういう人をあえて指名せず飛び込みで入った時にどうかという話で、更に、その施術レベルが私が思い描くわたし好みの最高のマッサージであるかどうかという極めて主観的なものであることをお断りしたい。

チェンマイには、チェンマイスタイルマッサージのプロトコルを開発して世に広めた「オールドメディソンホスピタル」がある。サロンというよりホスピタルなのだがやることは普通の2時間のタイマッサージである。ここには何度も行ったが、一回はとても満足し、二回目はがっかりし、三回目は普通だった。有名なスクールも併設しているのだが、セラピストはスクールで教えている通りにはやらないようだ。変な癖やリズムがついてしまっている。

チェンマイで一時期、日本人に口コミで有名になったのが、スパトラーズ。確かに悪くはないが、痛かったし、意外と普通だった。比べる相手が悪いのかもしれないが、チェンマイのスクールティーチャーである、シンチャイ先生、タノン先生、キム先生が行う体が溶かされていくような至福の感じではなかった。

バンコクで有名なのはヘルスランド。大きな独立した美しい建物の大規模店だが、技術はまあ普通か。逃げだしたくなるほど不快ではないが、幸せになるほど気持ちよくもない。何度も行ったが、どのセラピストもそんな感じだった。

バンコクのプロンポンにある「ワットポースクンビット校直営サロン39」。ここは日本人経営のスクール直営なのでワットポー仕込みの本格マッサージが受けられそうなのだが実際は違う。ワットポーのセラピストではなく、スクンビット校が雇用したセラピストが働いており、技術はワットポースタイルではなく町のマッサージ屋さんな感じである。町のセラピストよりは上手な気がするが、何回か行って、感動するような施術には出会わなかった。

これまでホテルの近くとか行きやすいところばかりに行っていたので、今度は少し遠いがシーロムにあるあの有名な有馬温泉に行ってみることにした。有馬温泉の歴史は古く、30年以上前からJALのスチュワーデス御用達の有名店としてガイドブックにも数多く紹介されている。行ってみると、思っていたような有馬な感じではなく(当たり前か)、大きなマンションの一階が受付になっている大型店だった。受付ではお客さんをどんどんさばいているようで、上の階が施術室になっている。セラピストはすごい数いるようだ。ここでのタイマッサージもどちらかと言えば下手だった。ヘルスランドくらいのレベルだろうか。どんどん客をさばいている感じが工場のようで、私はおもてなしを受けるというより、まな板の上の魚として扱われているような感じすら持った。しかし、長年にわたって繁盛しているので満足して何度も来ている方も多いのだろう。サービスや施術が悪いわけではなく、私の要求レベルが高すぎるだけの話だ

世界で一番気持ちいいマッサージを探して(1)

タイに行けばタイマッサージを受けたくなるが、どこがお勧めかというのは難しい問題だ。スパのようなきれいな施設で受けても一時間1500円くらいだからある意味受けなければ損なのだが、自分が行くとしても考え込んでしまう。
その理由は、適当に入ったマッサージサロンでいいセラピストに出会う確率が極端に低いからである。昔はもっとレベルが高かったようにも思うのだが、最近はひどいマッサージが蔓延しているように思う。そう感じているのは私だけではないようで、チェンマイクラシックアートのオーナーの方も、スクールのページでこのように書いている。

以下引用——————
今、あの「世界で一番気持ちイイマッサージ」が滅びかけています。
最近、チェンマイ式タイマッサージ発祥の地チェンマイでも、あの「世界で一番気持ちイイマッサージ」に当たることが急速に少なくなってきました。
これには、当スクールもとても危機感を感じています。これはタイの国が観光収入目的で、タイマッサージの普及を奨励するあまり、短期間にマニアル的な1-2時間の施術の流れのみを覚えて、その施術しかできない画一的なマッサージ師を大量に排出してしまっている結果だと思います。
ここまで——————

そう、タイマッサージは「世界で一番気持ちいいマッサージ」だったはずなのだ。私がタイマッサージを始めたのも私自身がそう思ったからなのだ。ところが最近タイのサロンで行われるマッサージは、痛いのをずっと我慢している感じになる。一時間で300バーツくらいなので、失っても大した金額ではなく、本当はすぐに中止して帰りたいのだがセラピストは機嫌よくやっているので「へただから帰る」とは言い出せず結局最後まで我慢することになる。ささやかな抵抗としてチップは払いたくないのだが満面の笑みで見送られると結局払ってしまう。つまり、セラピストは自分は「世界で一番気持ちいいマッサージ」をやっているつもりなのであり、そこが救いようがない部分でもある。

マッサージチェアというものがある。ファミリーやパナソニックのようなメーカーが出している大型の高級機だが、最新のものがフィットネスクラブに置いてあるので何度か使ったことがある。マッサージチェアを自宅にも買って持っているような人は「最近のはすごく気持ちがいい」と言うし、フィットネスクラブでも皆さん気持ちよさそうにしている。これがわからない。あれのどこが気持ちいいのか? 背中をゴリゴリされて痛いだけだ。ふくらはぎとか腕はエアーで掴まれるような機能があるがそれも強すぎたり弱すぎたり、何をしているんですか? という感じだ。私にとってはマッサージチェアというのは拷問に近い。あの感じがタイで受けるへたなマッサージの感じだ。だから私や、タイマッサージをよく知っている人はそれがだめなことはわかるのだが、一般の人はひょっとしてあれでも気持ちがいいと思っているのかもしれない。マッサージチェアで気持ちがいいと思うのだから、それよりは少しましな、人がやるマッサージに十分満足しているのかもしれない。そしてそんな客が、セラピストを勘違いさせ、だめなタイマッサージが蔓延する理由の一つになっているのだと思う。

具体的に何がだめかというと、まず、握るように押すことだ。リズムはせわしなくて速く、そして、なぜか指圧を入れた後、圧を抜く直前に皮膚をえぐるような動きが入る。これが痛くて不快だ。もう一つは、ラインやトリガーポイントを的確に捉えていないこと。最初は「こういうツボやラインもあるんだ、この人はよく知っているなあ」などと思っていたのだが、そうではなく、単純に意味のないところを押しているだけのようだ。場所も違うし押しかたも変。これでは効くはずもないのだが、効かないだけに、相手が痛そうな顔をするまでやたらめったら強く押してくる。痛そうな顔をすると自分はちゃんとできていると思うのかセラピストは満足げな笑みを浮かべる。

ホテルの近くなどに店を構える小さいマッサージ屋さんは、ほぼこんな感じだ。もちろん、中にはちゃんとした人もいるが、確率的にそういう人に当たることは少ない。そういう人は常連さんに予約されているからほとんど当たらないのかもしれない。それで、「世界で一番気持ちいいマッサージ」を探してみることにした

7周年(2)

店が繁盛するかどうかの分かれ道はどこにあるのだろうか?
最近テレビでもよく取り上げられる隠れ家飲食店のような店はどこにあるのか知らない人には全くわからない、それでも繁盛している。店というのは駅から近く、そして目立つということが物凄く重要なので、そうでないのに繁盛するのはすごいことだ。もともと別の場所でやっていて常連客を呼び込めるとか、シェフのネームバリューや料理の圧倒的なうまさとか何か、コアになる要素があるから客数が雪だるま式に膨らむのだと思う。そうなってしまえば、家賃は安いし、広告や看板費用はいらない分、利益も経営も安定することは想像に難くない。

「ばん」という祐天寺屈指の繁盛店があるが、ここも場所はそれほどよくない。しかし、中目黒時代からの常連客や、居酒屋としてこれ以上ないほどの完璧な店づくり、そしてレモンサワー発祥の店という伝説がこの店の成功を支えている。

恵比寿に「香月」というラーメン店があった。私も何回も行ったことがある超有名店で、とてもうまかったし、恵比寿ラーメンというのは香月のことかと勘違いするくらい繁盛していた。ところが、その場所を離れ、三軒茶屋に移転して一年ほどで結局閉店してしまった。三軒茶屋店は駅からは近いものの、比較的人通りの少ない建物の二階だったので場所のハンディもあっただろう。ラーメン店が2階というのは致命的なことかもしれない。しかし、あの香月である。ネットの噂によると、恵比寿の元の店は家賃が値上げになったことでビルオーナーともめて、それで三軒茶屋移転になったということらしいが、値上げに応じて元の場所でやっていれば今でも繁盛していたことだろう。もったいないことをしたものだ。同じ場所で続けることの大事さ、そして、物件立地の力、時代の流行、考えさせられることは多い。

私もヨガスタジオをたくさん持つようになり、立地条件の難しさは痛感している。もちろん、駅の乗降者数や駅周辺の属性別人口、他社動向のようなことは一通り考慮して、慎重に出店しているが、メンバー数は店によって大きく異なる。店が増えるに従い、どのような要素が影響するか、何を目安にメンバー数が予測できるかは徐々にわかってくるのだが、完全にはわからない。住んでいる人のタイプも街によって異なるし、結局、やってみなければわからない。コンビニやファーストフードチェーンがどんどん出店し、不採算店はどんどん閉鎖するという手法は、やってみなければわからないというのを行動で示している。チェーン店が繁盛するかどうかは確率的に考えることで、いくつかはうまくいかないというのは納得づくでやるものなのだろう。

うまくいくか、いかないか、心配していても先に進まないので、悩むことはやめることにした。だめならだめでいい。テニスの試合でもポイントを一ポイントも失わずに勝つことなどない。失ったポイントより得たポイントが多ければ勝つわけで、失点しても別にかまわないという、正に失敗を恐れない無神経さ(←勇気ではない。勇気や無謀という言葉は恐怖があるから成立する概念だが、恐怖すら感じない無神経さがスポーツ選手や経営者にとって最強)で突き進むしかないのだ。

そんな気持ちで来月、下北沢スタジオをオープンする。うまくいくかどうかは運次第だ。私に運があればうまくいくし、なければ・・・、いや、なければということは考えず、自分の強運を信じることにしよう。
私は下北沢が大好きなので、下北沢に店を持てるというだけで故郷に錦を飾るような嬉しい気持ちになる。一方で、何だか、終わりのないギャンブルをずっと続けているような心境でもある

下北沢スタジオ(まだ何もできていません:-()

7周年(1)

先日、スクールを設立して7周年となった。正確に言うと、スクールと同時にヨガスタジオも始めたので、その母体となった会社を登記してから7年である。

早いものだ。とりあえず作ってしまえ!と立派な教室を建設してから試行錯誤を重ねながらなんとかやってきた。すべての起業家が味わうだろう、苦労をする楽しさを感じながら今日まで生き延びてきた。あと何十年かして人生を振り返るときに、あのころが一番楽しかったなあ、と思えるような7年であったと思う。
自分では、気がついたら7年になってたというだけで、今後も気がついたら10年になるだろうし、20年になるだろうし、50年くらいにはなるかもしれない。ところが、世間一般的にはそれはそんなに簡単なことではないように思う。

スクールの近くの三宿通り沿いに店舗がかならず潰れる物件がある。長い間、nordという喫茶店があった建物で、一階が喫茶店で、地下が別の店になっている。nordは大丈夫だった。そんなに繁盛しているわけでもなかったがまあまあ人が入っていたカフェだったが、nordが閉店した後にスリーロティサリーという店になった。
それが約1年前である。オープンした時は、店の看板やデザインが、六本木か原宿にあるようなチェーン店っぽいロゴのデザインだったのでチェーン店かと思ったがそうではなく個人でやっていたようだ。鶏の丸焼きを切り分けて食べる料理とチキンカレーの店で、一度行ってみようと思っていたのだが、先日なくなっており、今は改装して五本木バルという店になっている。同じ経営者が新装オープンしたのか、違う人が始めたのかはわからないが、とにかく、スリーロティサリーは1年も持たずに閉店したことになる。一度くらい食べてみたかったのだが、すぐ近くの私が一度も食べなかったということが閉店した理由でもあるだろう。

何が悪かったのか。まずは、デザインがこなれすぎていて、チェーン店っぽかったのが逆に災いしたのではないか。このところ、和民が急速に経営悪化しているように、チェーン店だとまずい(レトルトっぽい)というイメージがある。そのため、唐揚げやとか惣菜屋はあえて手作りっぽい雰囲気を演出するのだが、スリーロティサリーは店舗デザインを依頼されたデザイナーが自分のデザインセンスを誇示することに夢中になってしまったのか、「出来立て、うまそう」という生々しい雰囲気を全く感じさせない、食べ物屋にも見えない美しい雑貨屋のような仕上がりであった。素人が店を始めるときに、間違ったデザイナーに頼むとこうなるという見本である。もちろん敗因はそれだけではないだろう。商品と立地条件が完全にミスマッチしたのは致命的だ。チキンというのは焼きたてだからうまい。常に焼きたてを提供するためにはお客さんが買う前に最終調理をしなければならない。しかし、鶏の丸焼きはそうは行かない。一回に作る量が多いし時間もかかる。結果として作り置きになる。すぐに売れればいいが、あの立地条件は人の流れのブラックホールのようなところになっており、そんなに人が通らないし、何か食べたい人は特に通らない。なかなか売れないので、作ったチキンは時間がたってまずくなる。たまに売れてもまずかったと思われるからまた来てはくれない。こういう悪循環に陥ったのだろう。きれいな店を作った時の喜びから全然お客さんが来ない悪夢への転落、私もそれを経験しているだけにここの経営者の気持ちを思うと胸が痛くなる。

私がよく買う、日本一という焼き鳥チェーン店がある。そこはいつも行列ができている。とにかくうまいのだ。作り置きではなく、後ろでどんどん焼いている。回転の良さが出来立てのうまさを生み出し、それが、回転の良さを生み出す、驚異の好循環である。驚異なのは、売っているのはスーパーの総菜売り場にあるような焼き鳥でそれは特に安いわけでもないし宣伝もしていないし、20:00を過ぎても絶対に割引をしない。それなのに、行列が絶えないのだ。うまさだけで商売を成立させてしているところが圧倒的で、あらゆる商売の見本だと思っている。

スリーロティサリーがあった建物の地下にも飲食店があり、この物件はもっとひどい。一年おきに店が変わる。いつも居酒屋とか沖縄料理とかだが、前の店は夜逃げしたという噂がある。今の店はいつまでもつのだろう。

続く

次郎の寿司

前回までなぜか他のスクールの宣伝になってしまった・・・

他のスクールの宣伝をしている場合ではない。ピシットタイマッサージスクールJapanでも、タイマッサージの本質を、日本語で懇切丁寧にお伝えすることをミッションと考えているので是非一度体験に来ていただければと思う。

先日、すきやばし次郎という有名な寿司屋についての映画を見た。その中で印象的だったのは、まず、次郎寿司の跡継ぎである次郎さんの長男の言葉。

「ロブションのすごさはその鼻と舌にある。あの嗅覚と味覚の鋭さがあるからあれほどうまい料理を作れる。うまい料理の上限はその人がもつ味覚で決まる。それが天賦の才能である」

同感である。自分でこちらの方がうまいとわかるから、よりうまいものを作れる。その違いがわからなければもっとうまい料理を作れるわけがない。あらゆる芸術について言えることだろう。

そして次郎さんの寿司は交響曲のような構成を持っているという。食べ進めていくと、温かい寿司、そして冷たい寿司、さっぱりした寿司、濃厚な寿司と音楽を奏でるがごとく寿司ワールドが展開していく。第一楽章、第二楽章、・・・、とそれぞれが季節のテーマを持っており、20分間の芸術作品だそうだ。次郎さんはその着想を得て、寿司を芸術作品として極めるため日々、もっとよくできると研究を重ね、現在の形に到達した。それはわかる人にはわかるらしく、ロブションやミシュランに三ツ星以外に評価しようがないという評価を得た。

客が好き勝手に注文する限り流れを持った作品にはならない。だから、お任せコースしかないのだそうだ。最低でも3万円かかるので、スシロー専門の私には縁のない世界だがその取り組みには感動した。

私が目指すべきタイマッサージの姿がそこにあったように思う。寿司はもともと食料であり栄養として食すべきものだが、その目的を大きく離れて、味覚を楽しむ芸術まで昇華された。タイマッサージももともとは体の健康を回復するものだが、一連の流れを交響曲のように構成し、触覚を楽しむ芸術にまで昇華できるのではないか、そんなことを考えた。そのためには、ロブションのように自分の体の感覚を最大限に研ぎ澄まし、マッサージの気持ちよさをテーマに、タイマッサージの技術を磨く必要がある。幸いなことに楽譜に相当するシーケンスはピシット先生から授かっている。あとは、それをどう演奏するか、ということだ

スクールで学ぶこと(6)

前回、ピシェット師について色々と書いてみたが、私はピシェット師が嫌いなわけではない。むしろ好きだ。オールドメディソンホスピタルのシントーン大先生と喧嘩して首になり、自分のスクールを立ち上げて本家を上回るほどの人気と評価を勝ち得、金持ちになり、自由な時間も弟子も得た。その自分の王国を短期間で一人で作り上げてしまった彼の人生は痛快この上ない。彼は商業主義を否定するが、皮肉なことに商業的に最も成功したタイマッサージ師であると言っていい。私は彼のおかげでタイマッサージの本質的なことを明確に意識することができるようになった。スクールのあり方についても多くを学んだ。ピシェット師を神とは思わないが、タイマッサージへの眼を開かせてくれたタイマッサージの師匠の一人として、また、スクールの経営者として尊敬している。

ところで、話は戻るがCCAではタイマッサージの本質は学べないと書いてしまったが、実はそんなことはない。グループレッスンを受けるだけでは学べないが、CCAにはそれを補完するカリキュラムの考え方がある。
リピートレッスンと、プライベートレッスンである。
CCAでは受講料を払うと、同じレッスンを2回受けられることを説明される。実はここに深い意味がある。タイマッサージを学んだことのない人に、私が今まで書いてきたような小難しいことを説明しても、まったくイメージが湧かない。だから、とにかく、まず一回習ってみなさい。というのが一回目のレッスンだ。そして、日本に帰国したら、それを繰り返し行い、あるいは二人で練習し、タイマッサージの本当の気持ちよさはどうすれば実現できるか考えてきなさい、という期間が与えられる。もちろん何も考えずに練習しても意味はないが、こうすると気持ちがいいとか、やる人によって気持ちよさが違うな、とか課題意識を持って取り組むと色々な疑問や仮説が生まれて来る。
その段階で、リピートレッスンを受ける。更に、プライベートレッスンを受ける。これが大事だ。施術の手順や基本的なテクニックを覚えた後に(←これが大事。手順を覚える前にプライベートを受けるとグループレッスンで習うのと同じこと(手順)を習うだけになってしまう)、タノン先生やキム先生のプライベートレッスンを受けると、グループレッスンで教えたよなことはもう教える必要がないので、より深いことを教えてもらえる。どうすれば気持ちがいいか、どういう体の使い方をすればもっと楽にできるか、センやポイントの正確な位置、タイマッサージを上手に行うための本質的なポイントに踏み込んで教えてもらえる。インストラクターコースとかインターン制度もあるが、プライベートレッスンを活用することがタイマッサージの本質をつかむ早道だと思う

スクールで学ぶこと(4)

通常のスクールのグループレッスンでは教えていなくて、ピシェット道場では教えていることは以下の3点である。

1)心のあり方
2)トリガーポイントの触診
3)正しい体の使い方

これだけのことなのだが、それぞれが奥が深く、トレーニングには時間がかかる。一つ一つ説明していきたい。
まず、心のあり方。これは施術者が心身共に健康であることを日常的に目指すことである。澄み切った、思いやりに満ちた心で相手に接しないと相手の体の状態を感じることができない。自分自身がリラックスしていないと力みが相手に伝わったり、手に汗をかいたり、手が冷えたりする。自分の体に故障があると加圧の際に歪ができ、手技がスムーズに決まらないだけでなく自分の体を更に悪化させてしまう。自分の心が病んでいると指先、全身から悪い気が出てそれは相手に確実に伝わってしまう。といった様々な理由があり、まずは自分の心と体をいつもいい状態にすることが施術者の務めである。具体的には、日常的に運動、ストレッチ、ヨガ、正しい食事を行い体の健康を保つ。そして、毎朝、お経を唱え、瞑想をすることで心の健康を作る。となるが、ピシェット道場で推奨されているように仏教徒になることだけが心の健康を作るわけではないし、仏教徒になれば必ず心が健康になる保証もないので、人それぞれの方法で心の健康を作ればいいと思う。
とはいえ、瞑想やストレッチ、筋トレをすべて含むヨガを日常的に行うことが、体と心の健康を作ることは確かなので、宗教色の薄いフィットネスとしてのヨガを行うことはセラピストにとっていいことだろう。

次に、トリガーポイントの触診。これはピシェット道場ではセンシングと言われることで、相手の体を触って、指圧すべき筋肉やトリガーポイントを見つける技術である。初めての人はこれがトリガーポイントだと言われても、そこを触っても、よくわからないのが普通だが、数多くの体を触っているうちにわかるようになる。それは、どの体もトリガーポイントができる位置がほとんど同じであること、そして、その人の姿勢や症状からトリガーポイントのできる場所の予測ができるようになるからである。指先だけでなく、関節の可動域の確認や、相手の体全体が発する雰囲気を感じ取るセンスや、解剖学の知識が必要なため、トリガーポイントを触診する能力は個人差が大きいが、繰り返し色々な体を相手に施術をし、常に、相手の体の状態を感じることを意識することで経験的にこの能力は身に付く。ただし、何も考えずに施術している限り、何年経っても感覚は磨かれない。その意味で最初にセンシングの概念をしっかり理解し、日々の施術はそのトレーニングであるという意識で行う必要がある。このセンシングの感覚を最大化するのに最も重要なことは、前に述べた、自分の体と心の健康であることは言うまでもないだろう。

最後に、正しい体の使い方。トリガーポイントを加圧したり、凝った筋肉をストレッチする際に、無理のない体のさばきで、施術者がスムーズに手技を決めないと相手に不要な痛み、不快感を与え、筋繊維を損傷して揉み返しの原因を作り、筋肉や人体、骨を損傷する危険もある。安全で、効果的で、気持ちのいい施術は、施術者の正しい体の使い方によって実現される。
そして、正しい体の使い方をしないと施術者自身が自分の体を痛めることになる。腰を痛め、指を痛め、体に歪を作り、施術を行うことが苦痛になり、体を壊してしまう。
では正しい体の使い方とは具体的にどういうことなのか? それは、施術者の体は錘の付いた構造物であるということを理解することである。体を相手に圧力をかける道具だとみた場合、脊柱や腕といった骨格は力を伝える梁(はり、span、棒)であり、ついている肉は力を与える錘(おもり、重さ、質量)である。力を伝える棒をトリガーポイントにセットしてまっすぐに重さを伝えていくのが手技である。このときに施術者の関節に負担をかけず、筋力を使うことなく最大の荷重をかける方法を習得するのだ。簡単に言えば背筋を伸ばし、適切な加重となるポジションを取り、丹田を寄せるようにゆっくり圧を高めていく。指や足でポイントを直接加圧することもあれば、足や膝、肘をポイントにセットして両手で相手の体を引くこともある。施術によって行うことは異なるが、基本は同じである。やり方を聞くと簡単なことなのだが実はそんなに簡単ではない。ゴルフはボールをクラブで打つだけの簡単なことだがボールを真っ直ぐ飛ばすのは物凄く難しいのと同じことだ。正しいフォームを繰り返し練習するだけでなく、スポーツ競技を行うときのような邪念のない心、そして、体の柔軟性や施術を安定させる筋力(ここでいう筋力は圧を強めるための筋力ではなく、自分や相手の骨格を支えるときに体を痙攣、振動させないための筋力)が必要なので、やはり第一番目に説明した自分の体と心の鍛錬が必要となる。

ピシェット道場では、これらのことを一つ一つの施術について、お互いに納得できるまでじっくりトレーニングする。だからスクールではなく、道場と呼ばれる。しかし、道場でのトレーニングを行えば必ず身に付くというものでもなく、毎日の施術を心を込めて繰り返し、10年くらい経てば少しいい感じでできるようになることだと思う。その意味で、ピシェット道場に数日滞在しようが、数か月滞在しようが、いいタイマッサージを行うためのきっかけ(ヒント、出発点)を得るという意味では同じことであり、そこからどれだけタイマッサージへの理解を深め、技術を極めていけるかは本人のモチベーション次第だと思う

スクールで学ぶこと(3)

タイマッサージの施術は1~2時間、連続して行うので、それができるようになるには、一つ一つの手技とその順番を覚えればいい。別の言い方をすれば、施術は連続しているが、個々の手技に分解することができる。順番を覚えるのは単純に暗記物なので、ひとつひとつの手技をきっちりできることを学ぶのが実技のレッスンである。細かいことを言えば、手技と手技を滑らかに繋ぐということもテクニックの一つだが、それも手技の一部分と言えるだろう。

チェンマイクラシックアートのレベル3、レベル4では、ものすごい数の手技を一日8時間、3日間に渡って習得するのだが、その中には、ピシェット師が教えている手技が多数含まれる。びっくりすることは、ピシェット道場で一日かけて学ぶことが、ほんの数分のデモンストレーションと、一回だけの練習で終わってしまうことである。CCAではピシェット師が数か月かけて教えることを3日間で終えてしまうのである。私は先にピシェット道場に行き、後でCCAに行ったので、CCAで驚いたが、CCAで習った人がピシェット道場に行くと、レッスンの進行の余りの遅さに逆に驚くだろう。そして、自分がCCAで習得したつもりになっていた手技をピシェット道場でやって、100%のダメ出しをくらい、衝撃を受けるに違いない。何がだめなのか、どうすればいいのかはピシェット道場に行けばわかる。実は、手技の一つ一つはそれ程に奥深いのである。

これはCCAが悪いわけではない。ほとんどすべての外国人向けのタイマッサージスクールで言えることなのだが、短期滞在の受講生のために、決められた時間、料金で一気に教えなければならないからこうなる。一つ一つの手技を、すべての受講生ができるまでやっていたら授業が終わらないのである。そんなレッスンをしていたら低価格なグループレッスンを決まった日数で開催することなどできないし、短期間で一気に一通り習ってしまいたい人(がほとんどなのだが)にとってはありがたいシステムだ。

ピシェット師はこのようなスクールのあり方に疑問を持ち、現在のようなピシェット道場を設立した。そして、そのようなスクールのあり方に賛同する人たち、あるいは、今まで習ってきたつもりだったが本質的なことを全く習得していなかったことに衝撃を受けた人たちが多数、ピシェット道場に通っている。その意味で、ピシェット道場は外国人が長期間かけて技術を磨くことができる希少なスクールであると言えるのだが、あまりにも日数がかかること、そして、宗教色が強すぎるため、万人に薦められるスクールではない(信者になるかどうかは本人次第だが、数か月~数年の滞在のために、日本での人生を一旦捨てて社会からドロップアウトし、マッサージどころか人生自体を0からやり直すことになってしまいやすい)ことが残念だ。ただ、ピシェット式をすべて習得することはできないが、数日間だけでも通うことで、通常のスクールでは習っていなかった大事なことがあったのだという気付きにはなると思う。

次回は、ではピシェット道場では何をそんなに時間をかけて習得しているのかを説明してみたいと思う