スクールで学ぶこと(2)

日本でもタイ古式マッサージのスクールは増えている。WEBサイトの講師プロフィールを見ると、ものすごい数のタイのスクールを修了している人が多い。「タイマッサージのあらゆるテクニックを習得済みです」とPRしているように見えるが、そういうことではないと思う。私もそうだったが、一つの学校を終えても自分のタイマッサージが完成したとは思えず、自信もなければ確信もない。そんなとき、他の人の施術を見ると自分と全然違うことをやっている。その人が知っていて自分が知らないことがあると思うと、自分のタイマッサージにはまだ欠落しているものがある、まだまだ習っていないことがあったんだ! と思い、それならその人が学んだスクールで学べば自分に足りないものが補完され、タイマッサージを習得できたという確信が持てるようになるはずだ、とある意味安心して、とりあえず受講する。
ところが、そのスクールを終えても、自分の未完成感は依然として解消されない。自分が施術者として、あるいは先生として、タイのスクールの先生レベルになったとは到底思えない。
悶々と日々を過ごしていても仕方がないので、別のスクールにも行ってみる。受講料は驚くほど安いし、どのスクールも一週間-一か月で修了するので受講はお気軽だ。その繰り返しの結果、数多くのスクールのディプロマが並ぶことになる。その結果、タイマッサージについて確信が得られたかどうかはわからない。確信を得た人もいるだろうし、一応学ぶことは全て学んだのだから完成したのだろうと思ってみたり、やはりタイマッサージの勉強に終わりはないと割り切った人もいるだろう。最悪なのはいくつかのスクールで修了したので自分のタイマッサージは完璧だと錯覚してしまうことだが、多くのスクールに行く人に、そういう人は少ないと思う。

一方、タイでスクールの先生をしている人は一般的に多くのスクールには行かない。金銭面の理由もあるが、言葉の問題がないため、一つのスクール、または団体で長く、深く学ぶ機会が与えられるからだ。ワットポーの先生はずっとワットポーで学んでいるし、チェンマイスタイルの先生は基本的にはオールドメディスンホスピタルで長期間学んでいる。それ以外には、タイ厚生省や大学が提供するカリキュラムが本格的なものだろう。どれも、タイ人が対象なため外国人が入る余地はない。先祖代々、マッサージの技術を受け継いでいる家系もあるだろうし、寺に伝わるマッサージもあるが、タイ人は一か所で長期間学ぶことで技術を完成させる(完成しようと努力する)。逆に言えば、日本人は一か所に留まることが許されていないため、スクール放浪の旅に出ざるを得ない。しかし、どのスクールも初心者向けのレッスンしか提供していない。そこに、超えられない壁がある。

なぜ、タイの先生を越えられない壁があるのか? その理由は、タイ国、タイのスクールが、タイマッサージの技術は国内の貴重な資源として国外に流出させないという基本方針があるからである。しかし壁があれば乗り越えたいと思うのが人情である。タイマッサージを長期間かけて深く学ぶとはどういうことなのか、何を学んでいるのか? 次回以降で、文章化してみたいと思う

スクールで学ぶこと(1)

教えるということは難しい。どういう教え方をすれば効率よく、確実に学んでもらえるのか、いつも考えているが一人で考えていても仕方がないので時々他のスクールを見に行くことにしている。時間が許せば、実際に受講して、生徒さんの気持ちになってみることにしている。
この前行ってみたのは、チェンマイのCCA(チェンマイクラシックアート)。2回目の訪問だが色々と思うことがあった。今回は、「スクールで何を学ぶのか、どう学ぶのか」ということを何回かに分けて考えてみたい。

タイマッサージスクールのカリキュラムは大きく分けると実技と座学になる。タイのスクールでは言葉の問題もあり、座学については実技の合間に簡単に説明するだけか、書物やネットでの自習するシステムにしているところが多い。タイマッサージの歴史やマナー、心がけのようなことは読めばわかる。CCAのWEBサイトに掲載されていることで十分だろう。解剖学についてはいい本を買って、自分でゆっくり勉強すべきである。凝りやトリガーポイントについてある程度理解すると、タイマッサージで自分がしていることが何なのかイメージが湧き、技術の向上を考えるときの基準ができる。

問題は実技である。マッサージを全くやったことがない人は、マッサージというのは「どこを」「どうやって」施術すればいいのか学べば大丈夫だろうと考える。具体的なイメージとしては、ポイントを指圧する、筋肉をストレッチするということを一つ一つ覚えて、順番にやればいいのだろうと考える。
それはそうなのだが、なぜか、人によって施術の気持ちよさは劇的に異なる。同じことをやっているはずなのに、気持ちいい人、不快な人が明らかに存在する。いや、初めてのころは恐らくそれすらわからない。痛かろうが、気持ち悪かろうが、タイマッサージとはこういうものかと思い、いい、悪いの判断もできないと思う。

私の言っていることがわかってもらえるだろうか? 気持ちがいいことくらい猿でもわかる、と思われるかもしれない。しかし、実際にはそうではないと思う。タイマッサージは音楽に例えることができるが、子供のころ、ショパンやベートーベンのようなクラシック音楽を聴いて、あるいは、マイルス デービスのようなジャズを聴いて感動できただろうか? 同じベートーベンでもカルロス クライバーが指揮をすると別の音楽のように素晴らしいということが理解できただろうか? 少なくとも私にはわからなかった。タイマッサージもそういうところがある。まず、どういうマッサージがいいのか自分でわからないと技術の向上のしようがない。そこにまず個人差が存在し、感性の鋭い人=センスのいい人は、理解力も早いが、そうでなくても、日常的にタイマッサージに接していると感性は磨かれる。音楽(聴覚)もマッサージ(触覚)も、繰り返し経験することで脳内のニューロン、シナプスが成長し、体がその良さを覚えるようになる。体への触覚刺激は最初はくすぐったかったり、痛かったりしたことが経験を重ねることで快感へ変わる、いわゆる体が開発される。

タイマッサージを学ぶ第一歩は、この、自分のマッサージに対する感性を磨くということから始まる。色々な人からマッサージを受けること、名人と言われる人にやってもらうこと、スクールで生徒同士で練習すること、先生にやってもらうこと、何でもいいが、繰り返し受けることで体が開発され、自分にとって気持ちがいいマッサージはこういう感覚だどいうことが確信を持ってイメージできるようになる

お店の閉店

このところ、立て続けに寂しいことがあった。

まずは、三軒茶屋のサンクチュアリというバー。フーディアムの前に2年ほど前にできたスポーツバーなのだがこのバーがあるビルには因縁があり、私が三軒茶屋にヨガスタジオを作ろうと物件申し込みをしたのだが小さい会社はだめだと断られた。そのビルにあったバーだ。内装もとても豪華で、私が断られたビルに入っているのだから立派な会社だと思っていた。それを思い出して、2週間前に一度行ってみようと思い立った。行ってみるとそこには何もなかった。シャッターが下りていたので一階のパン屋でバーはどうなったのか聞いてみたら6月末で閉店したらしい。2年持たなかったことになる。
私を断ったビルなのでざまあみろと思いたいところだが、実際にはなんだか寂しかった。考えさせられた。私は別のところに入居して幸いなことに繁盛している。このバーがなぜ上手くいかなかったのかは想像に難くない。私も店を始めるときに店舗プロデューサーなる人から飲食店を勧められた。料理人も知らないしと断ると、カタログを取り出してきてこういうレトルトや冷凍食品でメニューなんかできる。飲食店は内装次第だと説得された。直感的に断ったが、そういう人種はそうやって相手をおだて上げ、高額な内装工事を受注することが目的だ。その後、その店がどうなろうと興味はない。そういう輩に引っかかったのだろうと思う。実際には内装などどうでもいい。飲食店をやるならどこよりもうまいことが唯一重要なことだ。バーならどこよりも居心地がいいことが大事だ。その見本が祐天寺の「ばん」なのだがそこについてはまた今度書いてみたい。
私が入ろうとしていた3階にはお好み焼き屋が入っていた。そこを覗いてみるとファミレスのようなきれいな店内に1組の客のみ。ここが潰れるのも時間の問題だろう。もし私がここにヨガスタジオをオープンしていたらどうなっていただろうか、家賃も高いし駅からも少し遠い。今頃サンクチュアリのようになっていたかと思うと背筋が凍る思いであると同時に、断られて余程運が良かったとも思う。

競合他社ではないが、意識していた店が潰れていくのは自分の店が潰れていくようで悲しく、寂しいものである。ライバルは元気であってこそ、こっちもやる気が出る。

ライバルと言えば、ヨガスタジオを始めたころ、素敵だなあ、あんな店をいつかやりたいなあ、と憧れていた麻布十番メローボーテも、川崎のカルナスタジオプラスも閉店した。最近では渋谷のwired fitも、私と同時期にヨガスタジオをスタートした六本木のportも閉店したらしい。どの店も私の店よりもずっと立派に見えたし、私の店をもっと良くしないとと刺激を受けた店ばかりだ。利益が出ていれば閉店する理由はない。赤字が続き持ちこたえられなくなって家賃が払えずに店は終焉する。内装工事がどれだけかかるかもよくわかるのでうまくいかずに撤退した経営者の気持ちが我がことのように心が締め付けられる。

今度、中目黒にもスタジオをオープンするが、スタジオを支えてくださっているメンバーの方々、そしてインストラクター達の日々の努力には本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。多くの方の支えで生かされているのだとしみじみ思う

すぐ怒る人

すぐ怒る人がいる。

電話に出ると、ヨガスタジオに入れないらしい。その理由は、早く来すぎたためで、まだ前のレッスンが終わっていないからである。
その旨説明し、あと5分でレッスンが終わるので入れますとご案内すると、

「あなた、電話では早く来すぎると入れないことは説明しなかったですよね! そのときのひとですよね、責任者ですか、名前をフルネームで言ってください。」と激高し、「受付がやんないんですか、めんどくせえ」と悪態をついて突然電話を切った。女性である。自分が30分も前に来たことで5分待たされるというだけで、会ったこともない店長に「めんどくせえ」である。その方はその後ご入会いただいたので、私からは長期にわたってサービスを受ける立場である。その相手を初対面で暴言罵倒して、その後気まずくなるとか考えないのだろうか?
そもそももし私が同じ状況にあったならば、早く来すぎた自分が間抜けだったと苦笑するだけのことだ。そばに誰かがいて「もっと怒ったら」と言われたとしてもどうやって怒ったらいいのか困ってしまう。理由はわかったし、誰も悪くないし、相手は謝っているし、5分ほどぶらぶらしていればいいだけの話である。怒ることは疲れるし何より自分が気分が悪い。なぜこんなに瞬間的に怒りのエネルギーが沸き起こるのか不思議でならない。

以前別の人からも電話があった。「体調が悪いのでキャンセルしたいのですが」「承知しました。大変恐縮ですがご自身でも予約と同様、キャンセルはできますので、次回からは使ってみてください」

すると驚いたことに「はあ、こっちは直前なので親切のつもりで電話してるんですよ、それなのに何で説教されなきゃいけないんですか、悪かったですね、すいませんでした!」と激高してガチャンである。
言い方はもっときつかったと思う。親切なら、そんな言い方で人を不快にさせることは矛盾していると思うのだが・・・

病気なのだろうか、生理なのだろうか?
数百人に一人くらいの確率で、特に30才前後の女性にこのようなタイプの方がいるように思える。相手が怠慢とか、悪意を持った嫌がらせをしているなら攻撃的な言い方はあってもいいだろう。しかし、多くの場合は一生懸命やっている中でのちょっとしたミスや、逆に本人に原因があることも多い。自分が相手に迷惑をかけてしまったこともあるだろう。そんなときに「気にしなくていいですよ!」と気持ちよく許されたことはないのだろうか? あるに違いない。普通はそういう経験の蓄積で、相手に対しても、多少の失敗は笑って許してあげるものだ。ところが、この種類の人たちは、自分は許されて当然、相手は絶対に許さないらしい。なぜこういう人が出現するのか、こういう性向がエスカレートして内戦や戦争になるのか、人間の根源的な本能の一つなのか、単にカルシウム不足とか栄養失調による脳の変調なのか? 会社ではうまくやっているのか?子供のころに親から厳しくされたり虐待をされたのか? ゆとり教育や甘やかしで自分が偉いと勘違いしているのか?

色々と考えさせられるが、やはり、精神病の一種なのではないかと考えている

タイのお薦めサロン

ヨガのメンバーの方からタイのお薦めマッサージサロンはどこかという質問をいただいた。

「来月タイに行ってき ます。せっかくなのでタイマッサージを受けたいと思います。おすすめなどありますか。(お忙しいところ厚かましいお伺いで、すみません。お手すきの時にでも教えて頂けると嬉しいです)」

お薦めは○○です。と即答したいところだが考え込んでしまった。ワットポー以外に思いつかないのだ。私がタイにいるときにも悩む。さあ今日はどこでタイマッサージを受けようかと考えたとき、遠くまで行くのもめんどくさく(自分でエクササイズをするのが面倒なめんどくさがり屋がマッサージを受けたいので)、結局、ホテルの中にあるサロンに行ったり、ホテルの横の安いサロンに行くことになる。そしてホテルの隣の安いサロンではほとんどの場合失望する・・・

質問した方には以下の回答をお送りした。

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タイのマッサージサロンですが、バンコクはタクシーでの移動は渋滞に巻き込まれ、地下鉄や高架鉄道は乗換とか電車を間違ったり、目的地まで結局タクシーを使うなど移動にずいぶん時間を取られます。ですので、以下のサイトで紹介している中で近いところに行くのがいいと思います。
または、とりあえずホテルの中にあるサロンに行っても値段は高くないはずです。ワットポー以外は結局、セラピストの当たりはずれで決まりますので、遠くまで行くよりホテルの方が当たりだったりすることもあります。

下記WEBサイトは私の感覚とかなり近いです。補足すると、ワットポーが一番手堅く、ヘルスランドがその次くらいです。有馬温泉は30年くらい前からスチュワーデスも通うサロンとして有名でしたが、私は行ったことはありません。

http://allabout.co.jp/gm/gc/378970/
http://allabout.co.jp/gm/gc/20545/

本当はスクールの先生にやってもらうのが一番ですが、予約とかちょっと面倒ですね。もしチェンマイに行かれるのでしたらものすごくうまい先生を何人か紹介しますのでお知らせください。

では気を付けて!
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補足すると、ワットポーというのは、ワットポー寺院境内とワットポーに隣接するスクール内にある施術所のことである。スクンビットにあるワットポーマッサージスクールスクンビット校併設のsuk39というサロンは別だ。ここは、ワットポー出身でないセラピストが多数雇用されているため、ワットポースタイルのマッサージを受けられるとは限らない。いや、受けられないことがほとんどである。

なぜワットポーがいいのかというと、それはワットポースタイルという手技にある。指をセットしてお尻を上げ下げするという極めてシンプルな動きを徹底しているのでセラピストの癖や個人差が出にくく、これが、下手な人に当たることがほとんどない理由だ。タイマッサージを習得しようとタイに行く方の多くは、長期間のコースがあるチェンマイに行き、ワットポースクールは観光スクールと蔑む方すらいるのだが、実は、ワットポースタイルを学ぶ方が上手なマッサージができる可能性が高い。

チェンマイにいる場合は、一般的な施術所としてはオールドメディソンホスピタルが安くて上手だが、ここも外れ(自分の好みではない)のセラピストに会うことはある。もし時間に余裕があれば、スクールの先生にやってもらうのが一番いいし、上手なタイマッサージはこういうものだったのかと、目から鱗が取れることだろう。受講生以外にもやってくれるお薦めの先生は、シンチャイ先生、チェンマイクラシックーアートのタノン先生、キム先生。痛いのが大丈夫ならワンディ先生、宗教教団の信者さん達に囲まれての施術が平気で遠くまで行ってもいいならピシェット先生。
ターペ門近くのレックチャイヤスクールの二人の先生も素晴らしく、料金が高くても近くがいい方には最適だ。
その他のスクールの先生ももちろん素晴らしいと思うので、一般の人に施術をしてくれるのか、ホテルのフロントの方に電話で聞いてもらえばいい。

これらの先生は昼間はスクールの先生をしている(シンチャイ先生は逆)ので、夕方以降か土日しか施術はできず、人気も高いので早めの予約が必要だ。街中のサロンに20回行っても当たらないような感動的な施術を確実に受けられるので是非一度体験すべきだと思う

かつやのカレーカツ丼

かつやのカレーカツ丼がうまい。

3月下旬までの期間限定商品なのだが、うますぎて既に3回も食べてしまった。かつやはときどきレギュラーメニューではない期間限定商品を出す。その中でも、カレーカツ丼とミルフィーユ牛かつ丼は傑作なのだがなぜかレギュラーにはならず一年に一回くらいしか現れない。

私は普通は、カツはチキンカツよりもトンカツの方がうまいと思っているが、カレー味だとチキンが生きる。本場インドでもカレーで使う肉はチキンなので相性抜群だ。しかも卵とじになっていてカツ丼の出汁も効いている。結果として、普通のカツカレーよりも、普通のカツ丼よりもうまい。しかも、いつも配っている100円割引券を使えばなんと414円である。

チキンカツもビッグだし、500円以下で食えるテイクアウトのものとしては、テキサスバーガーもうまいが、カレーカツ丼が最強なのではないか。こう思っているのはどうやら私だけでないようで、昨日は平日にもかかわらずいつもと違う大混雑。テイクアウトで大量に注文する人もいて、なんと20分も待たされてしまった。

と、どうでもいいことを書き連ねてしまったが、実は現在新しいヨガスタジオをオープンする準備に追われているところである。ヨガスタジオは3店舗めなので、することはわかっているし、難しいことがそんなにあるわけではないのだが、新しく買い揃えるものも最新のいいものにしたいし、看板の写真も撮りなおしたい、スタジオデザインももっとよくしたい、等々、いろいりなものを買ったり、設計デザイナーと打ち合わせしたり、システムを構築したり、約一ヶ月でやらなければならないことは多い。ストレス(いいストレスだが)がかかる。そうなると、ストレス解消にはとにかく食ってしまう。だから今日もかつやへカレーカツ丼を買いに行く(昨日も食べたのだが・・・)。

今度の高円寺のスタジオも美しい仕上がりになりそうです:-)

イチローの整理整頓

年末年始のテレビで、イチローのロングインタビュー番組を見た。
イチローの家や滞在先のホテルで話を聞くのだが、最も印象に残ったのはカメラに映りこんだ、彼の着替え用の衣類である。

お店で陳列されているように綺麗に畳んで、寸分の狂いもなく何枚も綺麗に重なっている。

滞在先のホテルである。誰も見ていないし、そこまで綺麗に畳んでも実利は何もない。しかし彼はそれをやる。会社勤めをしているとき、特に工場で現場の整理整頓、そして帰宅時に自分の机の上を綺麗に片付けるというのをうるさく言われていたことを思い出した。

イチローは完ぺき主義者だし、工場も雑然としていると事故のもとになるから、というのはひとつの解釈だし間違いではないだろう。ただ、私もこの年齢になってわかるのだが、本質的にはそういうことではないように思う。
Tシャツを綺麗に畳んだところで何かいいことがあるわけではない。ではなぜ雑然としているといやなのか。それは、イチローが自分の仕事である野球の技術の何に問題があるか、そして、どうすればもっとよくなるかを考えるときに、頭の中で、あるいは体でどこに問題があるのかをひとつひとつチェックしていくのだが、そのすべてのひとつひとつが完全でないと完全でないところが見えてこない。例えばグローブの表面が多少汚れていても捕球には問題がないとしても、そこに汚れがあるということがノイズとなり、ノイズの積み重ねが本来修正しなければならない精妙な何かを見えなくしてしまう。だから、グローブも完全な状態でなければならないし、突き詰めていくと、生活を取り囲むすべてのものがノイズ、雑念を発生しない静かな整理された状態でなければならない。

職場や仕事での整理整頓も同じことだ。精度の高い思考をする人は机の上が散らかっていると集中できない。頭の整理をして、集中力を高める際に同時に、机の上やパソコンのファイルを整理してからでないとスタートできないのだ。私もそうだ。

天才は違うかもしれない。イチローが自分は天才ではないというのはそういうところなのだろう。私生活がぐちゃぐちゃなのに打ちまくる大リーガーのことを天才だと思っているに違いない。

お店の運営や、タイマッサージの技術も、きちんと整理整頓して取り組む人はレベルが高い。サービスも技術も、整理整頓から精度が高まり、ディテールに魂が宿る。どんなにデザインが優れた店舗も、完成されたタイマッサージも、行う人が雑ならば細部のこだわりは見えてこない

ダイオウイカと窪寺博士

NHKスペシャル「世界初撮影! 深海の超巨大イカ」を見た。
老若男女楽しめる素晴らしい番組だったが、見終わって最も印象に残ったのはダイオウイカと遭遇し、そして、ダイオウイカが去って行った後の窪寺博士の何ともいえない表情だった。喜びで満面の笑みかと思えばそうではなく、何だか哀しそうな、気が抜けたようなポカンとした顔だった。
40年間追い求めてきたダイオウイカを自分の目で直接見るという目標が完全な形で達成された後の顔だ。そうそう見られるものではなく、実はこの番組の最大の見所だったかもしれない。
目標が達成され、同時に目標が失われると人間は放心状態に陥るのかもしれない。思考が停止し、体の力が抜ける。求めてきた夢は叶ったはずなのだが、叶ってみればそこには何もなく、ただただ、終わった、終わってしまったというさびしさ、生涯をかけた取り組みが終わったということは一生が終わったということ、死を意味する。自分の一生の終わり、悲しくないわけはない。
この心境は、登山をする人にはよくわかるだろう。ジグソーパズルでもいい。山頂を目指して苦労に苦労を重ねる。装備を用意し、周到な計画を立て、体力を整え山頂を目指す。苦しいが心は楽しい。わくわくする。山頂はまだか、あと何時間かかるのか、進んでも進んでも手が届かないこの感じは何なんだ、俺はなぜこんな苦労をしているのか。様々な雑念、苦しみが心をよぎり、もう辞めようか、いやここが踏ん張りどころだ、しかし、山頂はあとどのくらいあるのか、と考えながら一歩一歩を踏みしめていると、山頂は突然現れる。気がつくと山頂に立っている。やった! ついに攻略した!と喜びが湧き上がる、はずだ。しかし、実際はそうではない。確かにいい景色だし、登頂に成功した。で、なんなんだ。そんな気持ちだ。確かに嬉しいし撮りたかった写真も撮れる。しかし、目標が達成され、同時に消滅してしまった空しさ、哀しさ、終わった、そういうものが心を占めているように思う。

私は生涯において、この気持ちを2回味わっている。一回目は大学受験で合格した後。多くの人が五月病になる気持ちがわかった。
二回目は去年だ。働くという営みを始めて24年。会社に勤め、会社を辞め、事業を始め、失敗し、そして去年とうとう、満足がいくものを生み出し、思っていたことが形になった。数ヶ月間放心状態になっていたような気がする。

今年に入って、新たな目標設定をした。その第一歩がピシットタイマッサージサロンのオープンだ。これまでにない素晴らしいサロンを創造する気持ちで取り組んでいる。そんな今が楽しい、夢というのは叶うことではなく、叶えるために突き進んでいるときが一番楽しい。その意味では、夢を持った時点で人は幸せになれる。夢が叶うかどうかはどちらでもいい。多くの人は夢がかなった人が幸せだと考えるが、夢を持った人が幸せだと言うのが真実だ。そして、それは誰にでもできることであり、つまり、誰でも必ず幸せになれる。

人生は壮大なゲームである。ゲームをするのは達成の画面を見たいからではない。一応それを見るという目標を持って取り組んでいるが、それが見たいのなら誰か達成した人に見せてもらえばいい。そうではなく、自分でやるから面白い。やっているときが一番面白い。達成してしまえば、単純に終わってしまう。終わってしまえばそこに幸せがあるわけでもない。それは初めからわかっていたことだが、終わったらまた次のゲームを始めるしかない。パチンコやギャンブルは結果を伴うゲームだが、結果を伴わないゲームがこれほどまでに市場規模のあるものだと気がついたことは革命である。働くということがゲームではなくなった現代だからこそ成立した事業であると言える。

しかし、ゲームに人生をささげるのはやはり空しい。本業で人類のために、あるいは、家族のために、人生のゲームの目標設定をするのが本筋だろう

ストレッチの重要性

ピシット先生の来日特別講習会が無事終了した。
今回も盛りだくさんの内容で、学べば学ぶほど、タイマッサージの奥深さが感じられ、ピシット先生の知識と経験と技術の深さに驚く。

そんな中、今回特に感じたのがストレッチの効能。

タイマッサージと言うと、強い指圧を思い浮かべる方も多いかと思う。しかしながら、近年、指圧よりもストレッチを重視する傾向がタイ厚生省や名人の間では定着しつつあるという。

その理由は安全性が高く、また治癒効果も高いからだ。特にヘルニアやぎっくり腰のように押すことに危険を伴う場合は特にいい。

さらに言えば、ストレッチをしてあげるよりも、本人が自分でストレッチをする方がいい。自分でやるので痛ければ止めるし、無理をしないので極めて安全性が高いだけでなく、毎日自分の家で、自分で行うことができる。しかもお金もかからないし、治療院に行く時間の無駄もない。

ピシット先生は、多彩なストレッチの技術を持ち、毎年少しずつ改良を重ねているのだが、このところ、特に、セルフストレッチを推奨するようになっている。いままでも治療後に必ず、自分でできるルーシーダットンを教えて毎日行うように指導するのだが、最近は初めから患者さんにルーシーダットンを教え、あるいはそれを手伝い、それだけで治療を完了してしまうことも多い。

お客さんがルーシーダットンを覚えて、自分で毎朝エクササイズを行うようになったらサロンや治療院は要らなくなってしまうのだが、それができないから病院や治療院に人は来る。しかし本当はセルフストレッチが最強であり、自分の健康は自分の努力で管理すべきもので、その意識がないとすぐにまた悪くなってしまう、それがピシット先生からのメッセージであるように思う

ゆで卵のむき方 – 新コロンブスの卵

なんとなくテレビを見ていたら驚くようなことを放送していた。

ゆで卵のむき方である。新鮮な卵は白身が薄皮にくっついてしまってむき難いのは誰しも経験したことだと思う。ネットで検索しても、「古くなってからゆでる」「冷水ですぐに冷やす」等ばかりで決定的な方法は見つけられない。

番組ではまず、ゆで卵工場では卵を二週間寝かせてから茹でることを紹介していた。そもそも、なぜ皮と白身がくっつくかと言うと、白身に含まれる炭酸が茹でたときに膨張して白身を皮の繊維に押し付け、繊維が白身にめり込んで癒着するからだそうだ。2週間寝かせると炭酸が抜けるのでくっつかない。

次に紹介していた方法が画期的だった。炭酸が原因なら炭酸が抜けるように茹でればいい。その方法は、

茹でる前に卵の丸い方の底をスプーンで割っておく

すると、茹でている最中にそこから炭酸がぶくぶくと抜けていく。そして、古い卵と同様につるっとむけるのだ。

この方法がすごいのは、通常むき方を考える場合は茹でた後にどうするかという発想になるのだが、そうではなく、「ゆでる前に」対策を施していることだ。誰でも茹でた後のことしか考えないのでこれまでこの方法は誰も思いつかなかった。「茹でる前」という180°発想を転換したときに発明は生まれた。

画期的な科学技術の発明も結局はこういうものである。先入観に囚われて発想の幅が小さくなっている、その範囲の外側に答がある。その答は多くの場合、アクシデント(実験の失敗や偶然)によって発見される。
だから、ゆで卵のむき方を発見した人も、たまたま割れた卵をそのまま茹でたらむけたとか、そんなことだったのかもしれない。たかだか、卵のむき方だが、人類の知恵、発想の転換のいい例といえるだろう。コロンブスの卵part2と言ってもいい。

こんな簡単な方法でゆで卵が簡単にむけるとは・・・。苦労する時間が1分として、どれだけ無駄な時間、無駄なストレスを費やしてきたことか・・・
にんにくの皮のむき方を知ったとき以来の衝撃だった。

このように科学で原因が理解できれば解決策が見つかる。マッサージの分野はまだまだ未解明なことが多いが、科学的な理解が進めばますます効果的な方法が見つかっていくのだと思う